左から長嶋茂雄氏、川上哲治氏、広岡達朗氏 左から長嶋茂雄氏、川上哲治氏、広岡達朗氏 Photo:SANKEI

現役時代の広岡達朗氏が身を置いた巨人は、勝つことを宿命づけられた球団だった。そこには、川上哲治、長嶋茂雄、王貞治ら、強烈な自負を持つ勝負師たちがいた。(ダイヤモンド・ライフ編集部)

――昔のプロ野球には、「プロフェッショナル」としての明確な基準と気迫がありましたね。

 昔のプロは、アマチュアにできないことをやるのがプロだという意識が強かった。

 巨人で勝つのは当たり前。負ければ相手は大喜び。だから次にやる時は必ずやり返す、という気持ちでやっていました。

 川上哲治さんは、青田昇さんがホームランを打って勝っても、どこか不愉快そうに見えることがあった。「俺が打って勝つのが当たり前だ」という自負があったからでしょう。そのぐらい、当時の一流選手はプライドの塊でした。

ひろおか・たつろう――1932年、広島県呉市生まれ。早稲田大学教育学部卒業。1954年に読売ジャイアンツへ入団し、1年目から遊撃手として112試合に出場。打率.314、15本塁打を記録し、新人王と遊撃手部門のベストナインに選ばれた。現役引退後は広島、ヤクルトでコーチを務め、監督としてヤクルトと西武を日本一に導く。セ・パ両リーグで日本一を達成した指導者として知られる。近著に『93歳まで錆びない生き方』(幻冬舎)、『最後の名将論』(SBクリエイティブ)などがある。 Photo:JIJIひろおか・たつろう――1932年、広島県呉市生まれ。早稲田大学教育学部卒業。1954年に読売ジャイアンツへ入団し、1年目から遊撃手として112試合に出場。打率.314、15本塁打を記録し、新人王と遊撃手部門のベストナインに選ばれた。現役引退後は広島、ヤクルトでコーチを務め、監督としてヤクルトと西武を日本一に導く。セ・パ両リーグで日本一を達成した指導者として知られる。近著に『93歳まで錆びない生き方』(幻冬舎)、『最後の名将論』(SBクリエイティブ)などがある。  Photo:SANKEI

 私自身、川上さんには反発もした。大学を出て巨人に入った若造でしたから、ぶつかることもありました。ただ、今振り返ると、あの厳しさや誇りが、巨人というチームの基準を作っていたのだと思います。

――当時のプロ野球では、サインをめぐる駆け引きなど、今とは違う激しさもあったと伺いました。

 当時は、今よりもはるかにグラウンド上の駆け引きが激しかった。相手の癖を読む、配球を読む、ベンチの動きを見る。勝つために、みんながあらゆる情報を取ろうとしていた時代です。今では起こりえないようなこともたくさんありました。

 だからこそ私は、やるべきことを正面からやるべきだと考えていた。相手の隙を読むことと、野球の本質を外れることは違います。私は監督になってからも、選手には「やるべきことをやれ」と言ってきました。