生産性を追い過ぎて、生産量の話がおざなりに
そもそも、生産性とは何でしょうか。
単語の意味としては、仕事で何らかの成果を生み出す際の「効率」ということになります。しかし、ここで「効率」だけに目を向けてしまうと、本来の目的から大きく離れてしまいます。
「生産性が高い」ということは、「同じ投下リソース(時間、人数、お金など)に対して、より多くの成果を生み出せる状態」です。
つまり、1時間で1生産できる人が、1時間に2生産できれば、生産性は2倍です。ここまでは、先ほどの定義とまったく同じです。
しかし、この人が、生産性が上がる前は100時間かけて100生み出していたところを、生産性が2倍に上がった後は50時間で100生み出しています、ということになったとしたらどうでしょう?
そうです。その人自身が生み出している「生産“量”」は、変わっていません。
これは、果たして「生産性が上がった」と言ってよいのでしょうか?
これはつまり「単位時間当たり生産性」と「一人当たり生産性」の差です。
1時間に2つくれるようになった、は、「単位時間当たり生産性」です。
一方で、その人が100作っていたのが、増えたのか減ったのか、は「一人当たり生産性」です。
生成AIがスポットライトを浴びるよりも前から、この「生産性とは何か」という論点は存在していました。
「働き方改革」の旗印のもと、「単位時間当たり生産性」を高める話が非常に増えていきました。
しかし、いくら「単位時間当たり生産性」が高まっても、労働時間の減少が激しければ「一人当たり生産性」は上がりません。
もちろん、過重労働やブラック企業の問題は解決されるべきです。
しかし、「生産性を上げる」という旗印の下で、「単位時間当たり生産性」だけに焦点を当てていては、いつまでたっても、会社組織全体での生産量が増えない、ということになります(言うまでもないお話ですが、生産性が2倍になった状態で労働時間を維持すれば2倍の生産“量”になりますし、労働時間を2/3に減らした場合も生産量は4/3、つまり33%UPとなります。労働時間を減らすことが悪いと主張しているわけではありません)。
つまり、実際に生み出される「生産量」で考えなければいけないのです。これが、AI活用の成否を図る、唯一にして最大のポイントです。
AIで「単位時間当たり生産性」が上がるのか?
生成AIによって「単位時間当たり生産性」が上がるのかどうか、を最初に確認しましょう。
色々なことができるようになってきていますが、「やらなくてよい仕事を、AIにやらせている」ようでは、そもそも「単位時間当たり生産性」も上がっていないということになります。
自分の関わっている業務において、本当に「単位時間当たり生産性」が上がっているのかどうかを見極めなければいけません。
たとえば、プログラムを書くとか、パワーポイントの資料を作るとか、リサーチをするとか、そういう仕事をAIを用いて効率的に進めようとした際に、「精度8割のアウトプットが大量に出てきて、それをすべて人間がチェックして精度10割にしている」という場合には、もしかすると「単位時間当たり生産性」が大幅に下がってしまっている、ということさえ起こり得ます。
AIで「一人当たり生産性」が上がるのか?
いやいや、そんな愚かなことはしないよ、という方も多いでしょう。おっしゃる通り、適切にAIを使えば、「単位時間当たり生産性」を上げることはそれほど難しいことではないはずです。
しかし、ここからが、先ほどお話した「一人当たり生産性」の問題です。







