皇室典範改正で進められる
「天皇の神格化」

 その代表が、麻生氏の祖父、吉田茂元首相だ。

 1952年4月のサンフランシスコ平和条約の発効前、日本では「昭和天皇退位論」が盛り上がった。極東軍事裁判で天皇の戦争責任が問われることはなかったが、日本国内やアジア諸国で戦争の犠牲になった人々の間で、昭和天皇の道義的な責任を追求する声が高まっていた。

 そこで日本の主権を回復するこのタイミングで、昭和天皇に自ら退位していただき、皇太子が即位したほうがいいのではないかと一部では「退位論」も出た。国会で野党議員が質問をしたところ、吉田元首相はこんな答弁をした。

「日本国民が心から敬愛しておる陛下が御退位というようなことがあれば、これは国の安定を害することであります。これを希望するがごとき者は、私は非国民と思うのであります」(第13回国会 衆議院 予算委員会 第5号 1952年1月31日)

 日本の戦争責任論が過熱している中で、戦時下の社会風潮を思い返す「非国民」という言葉は議場をざわつかせ、「読売新聞」(1952年2月2日)が社説「天皇神格化の傾向を警告す」の中でこんな風に批判した。

「民主政治が行われてから6年の今日、政府首脳者がまだこのような天皇観をもっていること、また再び“非国民”という旧軍閥の言辞を弄し始めたこと――これらは現政府についてわれわれがかねてから感じていた不安を倍加する」

 しかし、どうだろう。令和の我々が吉田元首相の「非国民」発言を見ても、そんなに不安を感じないのではないか。

 麻生氏を中心とした「安定的な皇位継承の確保に関する懇談会」で語られる「天皇観」はそんなものだし、政治家のSNSやYouTubeを見れば、もっと過激なことを言っているからだ。天皇の「万世一系」や「男系継承」にちょっとでも異を唱えた者は「反日」「売国奴」「日本から出ていけ」などほぼ「非国民」と同義の言葉で攻撃される。

 実は日本の政治家の「天皇観」は74年前の吉田茂元首相とほとんど同じなのだ。もっといえば、「天皇の権威」で国を統治しようとした大久保利通とも基本的には何も変わっていないのである。

 それはつまり、今回の皇室典範改正も圧倒的多数でサクサク進められるということだ。いくら陛下が「国民の理解が得られるようものが望ましい」とおっしゃっても、国民が「女系天皇や女性天皇も議論しようと」と声を上げても、ガン無視で「旧宮家養子案」へと突き進んでいく。

 日本の歴史を見ても明らかだが、天皇制というシステムは、権力者が自分たちの大衆を統治しやすくするためにつくり、運用してきたものであって、基本的に国民は「蚊帳の外」なのだ。

残念ですが、旧宮家の皇室復帰は非現実的です…皇位継承で「男系男子」にこだわる人に欠けている「歴史的視点」》でも詳しく解説したが、旧宮家という一般人が養子として皇族に復帰し、その息子が天皇になるようなことがあれば、さまざまなトラブルが予想される。その中でも最も深刻なものは「天皇の政治利用」のハードルがガクンと下がってしまうということだ。

 たとえば「旧宮家に出自を持つ天皇」の家族や元勤務先の上司、友人だとかがその知名度を用いて、金儲けをする。天皇出身の宮家とのコネクションを誇示する政治家や企業などもあらわれる。

 現在、旧宮家の方たちはご自身でもさまざまな民間企業で働いているほか、記念財団、国際交流団体など多種多様な組織に関わったり、名誉職などに就いている。その中には「大丈夫?」と心配してしまうような組織もある。旧宮家を皇室に復帰するということは、そういったリスクも一緒に皇室へ流れ込むことでもあるのだ。

 我々国民は天皇を「国民統合のシンボル」として敬愛しているが、一部の人は未だに天皇の権威を「権力維持装置」として利用しようとしている。「万世一系」や「男系天皇」も大事だろうが、こういう現実についても、保守政治家の皆さんにはぜひ議論をしていただきたい。