欲しいものを手に入れても、また次の欲望が生まれてくる。そのループから抜け出す方法はあるのだろうか。哲学者は、その答えの一つを「読書」のなかに見出している。

【哲学】食べたものが肉体となり、読んだものが精神となり、現在の自分となる。

欲望から逃れる道は「知的観照」にある

果てしない欲望の苦痛から逃れる道として、
ショーペンハウアーは「人生に対する知的観照」と、
「読書を通した偉大な思想家との会話」を挙げている。
これは、欲望を満たすことで苦しみを解消しようとする方法とは、まったく異なるアプローチだ。

哲学者は、事物を知的な対象として見るが、
ほとんどの人は、自分の利己的な欲望に縛られ、歪んだ視点から物事を見てしまっているという。
何かを「自分にとって得か損か」「欲しいか欲しくないか」という観点だけで見続けていると、
物事をありのままに捉えることが難しくなっていく。

「食べたものが肉体となり、読んだものが精神となる」

果てしない欲望の苦痛から逃れる道は、人生に対する知的観照と、読書を通した偉大な思想家との会話である。
哲学者は事物を知的な対象として見るが、ほとんどの人は自分の利己的な欲望に縛られ、歪んだ視点から見ている。
ショーペンハウアーは思惟の力を伸ばす方法として、読書を勧めた。
―― 食べたものが肉体となり、読んだものが精神となり、現在の自分となる。
哲学的に読書するには、思考する筋肉を育てねばならない。

ショーペンハウアーは、思惟の力、つまり物事を深く考える力を伸ばす方法として、読書を勧めている。
「食べたものが肉体となり、読んだものが精神となり、現在の自分となる」という言葉は、
食事が体をつくるのと同じように、読んできたものが、その人の精神そのものを形づくっていくことを示している。

ただし、ここで言われている読書は、単に情報を受け取るだけの行為ではない。
哲学的に読書をするためには、思考する筋肉を育てる必要があるとされている。
書かれている内容をそのまま受け入れるのではなく、
自分の頭で考えながら読み進めていくこと。
その積み重ねによって、利己的な欲望に縛られた視点から、少しずつ距離を置けるようになっていく。

欲望から距離を置くための、知的な習慣

欲望そのものを完全になくすことは難しい。
しかし、偉大な思想家たちの考えに触れ、自分なりに考えながら読み進めていくことは、
目の前の欲望から少し離れて、人生や物事を見つめ直すための時間をつくることにつながる。
読書という習慣は、単なる気晴らしや知識の蓄積ではなく、
思考の体力そのものを育てていく行為だと言える。

日々の生活のなかで、欲望に振り回されていると感じたときには、
何かを「得る」ことよりも、何かを「考える」時間を持つことが、
心の状態を少し整えるきっかけになるかもしれない。
読書を通して思考する筋肉を育てていくことは、長い目で見て、自分自身の精神を形づくっていく営みになる。

今日から試すなら、欲しいものを求める前に、何か一冊の本を手に取り、考えながら読んでみることだけでいい。

(本記事は『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』をもとに作成しました)