それは主義? はたまた事情??
「AかBか」という主義が分かれそうなトピックをあらためて考える、人気エッセイストの古賀及子さんによる書き下ろし新刊『暮らしの信じ方』から、抜粋・再構成し公開します。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)
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前回≫7/2公開【すぐに帰るかとどまるか】帰りたいのは主義でしょうか、事情でしょうか(2)
帰る理由は、せっかちなだけじゃないんじゃないか
と、ここでひとつひらめく。
帰る理由は、せっかちなだけじゃないんじゃないか。
単純に、体力が低下したから、という訳も、堂々として、ある。
帰らずねばっていた当時は、飲み会に参加するたびに本気を出してよく終電を逃した。二次会にも三次会にも、帰ることなくむしろ腕まくりで行った。
そこを最近は、一次会でもう退散する。単に、胃腸も気力も体力も、二次会までついていけなくなったからだ。
子どもを迎えに行かなくてはいけないのと同じように、今度は体を労わらねばどうにもならなくなったと考えると、主義ではなく、これはやっぱり、事情なのか。
仕事が終わったあとですぐに帰るのも、出張のあとさっさと帰るのも、大人になって執着を手放したという繊細な成長の物語ではなくて、単に体力が落ちたからだろうか。
気まずさに耐える根性がなくなった
実際、同年代の友人らと集まると、誰しもが無茶しない。朝までクラブで踊りまくって、それから意味もなく海へ行って、浜辺で輪になって泣くようなことは、残念ながらもうなさそうだ。
青春に年齢は関係ないとは思う。思うけれど、元気いっぱい発散するのは、ものすごく疲れるし眠いし、翌日がまるまるだめになってしまう。
せっかち、体力の低下と、あともうひとつ、私が帰る理由に、気まずさに耐える根性がなくなったのも実感している。
保護者会が終わったあと、かつてのように二次会などには流れずに、すぐに帰るようになってしまったのがそれだ。
保護者会というのは、終わったあとも、実質的には終わっていない。
別の例で言うと、小さな劇場で上演される演劇は終わっても一部、帰らない人がいる。演者やスタッフの知り合いや熱心なファンが残って、関係者にあいさつをするためだ。
保護者会が終わったあとの雰囲気にも、この終演後と同じ様相がある。会自体はたしかに終わっているのだ。でも、先生に個人的に相談や質問をしたり、保護者同士で交流したりする、なかなかない機会だからと、温かく大切な時間として、終わり切らない余白がある。
かつての私は、まさにこの余白をチャンスだと執念深くしっかりつかんで、二次会までやっていた。
それが最近は、見知らぬ方に声をかける気力と体力が、どうも出てこない。以前のように、気さくに人に声をかけるのが、情けないことに難しくなってきた。
「事情」が組み合わさった結果、「主義」に“成った”
「事情」が組み合わさった結果、「主義」に“成った”(この成るは、将棋の成る、だ)、ということかもしれない。
先日、ある書店さんが、著作の刊行記念トークイベントを実施してくださった。
トークのお相手は尊敬する書き手の方で、幸運にも私と同時期に書籍を刊行されたことで、ダブル刊行記念イベントの形でご一緒することができた。
楽しいお話をして、来場のみなさんも大いに盛り上がってくださり、すばらしい時間だった。
イベントの終了後はサイン会をすることになっていて、ふたりで座って、列に並んでくださった方々のおひとりおひとりの本にサイン入れをした。
タイミング的に私のほうが先にサインが終わり、楽屋に戻った。
この、楽屋に戻る姿を、イベントに来てくれていた友人が偶然見ていたらしい。
「さっさと会場から帰ったのが印象的で、よかったです」
とメールをくれて、読んで笑ってしまった。
事情を積み重ね、私は帰る主義に成った。そのきっぱりとした「帰りざま」を友人がおもしろがって見届けてくれたことに、妙な手応えを得た。
構わずさっさと帰る自分が、今は心強い。
(おわり)





