プラザ合意のほうは、85年までに著しく低下した交易条件比率が、85年から86年にかけて急上昇した。その後、交易条件比率は、80年代後半の資源安も重なって90年代半ばまで高水準で推移した。プラザ合意でも、その後、10年間にわたって日本経済は交易の恩恵を受けてきたことになる。

 こうして見てくると、昭和天皇の71年8月20日の問いかけは、まさに慧眼であった。一方、ニクソン・ショックやプラザ合意で輸出企業が受けた甚大なダメージで狼狽した人びとは、凡眼に甘んじてきたことになる。プラザ合意当時、銀行の調査部員であった私も、急激な円高をポジティブに評価する余裕などまったくなかった。

海外旅行のたびに
思い知る円安の痛み

 以上の議論を踏まえると、逆に円安による輸出企業の好業績によって交易条件の悪化が目隠しされることから、「円安で貧しく」も実感しづらいということになろう。

 とりわけ、90年代半ば以降、交易条件比率が低下して交易利得でなく、交易損失が生じてきたことが、なかなか実感されないまま、円安による好況にばかり目を奪われてきたのかもしれない。

『日本経済を診る――シン・競争の作法』書影日本経済を診る――シン・競争の作法』(齊藤 誠、筑摩書房)

 しかし、私たちは、90年代半ば以降、交易条件比率の低下というような非常に抽象的なマクロ経済統計を通じてではなく、もっと身近なところで、「円安で貧しく」をじわじわと感じてきた側面もあるのでないだろうか。

 具体的な状況として、あなたは、海外旅行で50万円の予算を準備しているとしよう。海外に行って、同じ予算を使って日本で泊まるよりも豪華なホテルに泊まれたとすれば、あなたは「円は強くなった」と喜び、逆に、日本で泊まるよりも、みすぼらしいホテルにしか泊まれなかったとすれば、あなたは「円は弱くなった」とくやしがる。

 また、海外に行って、同じ予算を使ってお土産を買うのに、日本で買うよりも、より良いものをより多く買うことができれば、あなたは「円は強くなった」と満足し、逆に、より悪いものをより少なくしか買うことができなければ、あなたは「円は弱くなった」と残念がる。

 21世紀に入ったころからの日本人は、このように「円は弱くなった」と残念がることを繰り返してきて、じわじわと「円安で貧しく」を実感してきたのでないであろうか。