1990年代に入っても、ブラジルから帰国した三浦知良(カズ)さんが「日本をワールドカップに連れて行く」と宣言したとき、世間の反応は冷たかったのをよく覚えています。「夢物語でしょ」と笑う人はまだサッカーを知っている人で、多くの人は「そもそもワールドカップって何?」という状態。それほどまでに世界との距離は絶望的に遠かったのです。

 個人の活躍に絞っても、1978年から9年間、ブンデスリーガの1.FCケルンなどで活躍した奥寺康彦さんら数人の例があったのみ。奥寺さんの活躍ですら、当時の日本人には届いておらず、Jリーグが開幕してから再評価された印象が強かったのが事実です。

 今につながるヨーロッパ主要リーグへの日本人選手の挑戦は、1994年、イタリア・セリエA、ジェノアに移籍したカズさんを待たなければいけませんでした。

 カズさんの挑戦は、開幕戦でのACミランの伝説的キャプテン、フランコ・バレージとの接触によるケガもあり、1シーズンのみの在籍で、21試合出場、得点はわずかに1で終わりました。カズさん自身納得のいく結果ではなかったと思いますが、「世界への扉を開いた」功績は特別です。日本サッカー界には、カズさんがいなければ開かなかった扉がたくさんありますが、中でも当時世界最強リーグと言われていたセリエAでプレーしたことは、その後の歴史に大きな影響を与えることになります。

 間もなく還暦を迎えようという年齢で現役でプレーしていることも奇跡ですが、道なき道を切り拓く“ゼロイチ”の功労者、カズさんの偉大さは語り尽くせません。

 カズさんに続いたのが、1998年にイタリアに渡った中田英寿さんでした。こちらは昇格したばかりの弱小クラブだったペルージャで、開幕戦から大車輪の活躍を見せます。加入からわずか半年で、純粋な戦力としてビッグクラブ、ASローマに移籍したことは、サッカー界における日本人選手の評価を大きく変える出来事でした。