トランプをめくる指先写真はイメージです Photo:PIXTA

かつてポーカーは、人間同士の“読み合い” が勝敗を大きく左右するゲームだった。相手の癖や表情、ベットの間合いを読み、心理戦で勝敗が決まる世界だった。だがAIが膨大な手札を解析し「最適解」を導き出したことで、その前提は崩れる。人間の駆け引きは次第に“計算されたゲーム”へと変わっていった。トッププレイヤーが次々と去った理由は、勝ち方がほぼ見えてしまい、驚きや駆け引きの余地が失われていったことへの静かな絶望だった。※本稿は、応用数学者のココ・クルム著、松本剛史訳『最適化幻想 効率が人を幸せにしない理由』(新潮社)の一部を抜粋・編集したものです。

相手の癖まで読み切る
ポーカーのトッププレイヤー

 ここはラスベガスのとあるみすぼらしいホテルのボールルーム(編集部注/巨大な宴会場)。ワールド・シリーズ・オブ・ポーカー(WSOP)が佳境を迎えようとしている。

 WSOPほどのイベントに出場するプレイヤーなら、まず10人が10人とも確率を完全に理解している。トップ層がさらにその上に積み重ねるのは、ほかのプレイヤーたちのモデルだ。彼らは相手の顔色を読み、その心理や過去のプレイを研究する。

 いまテーブルに着いているひとりの若い女性、かりにネルと呼ぶことにしよう。ネルは体こそきゃしゃだが好戦的で、その口をときおりついて出る侮辱の言葉は傲慢で痛烈だ。彼女の今日の目標は、5000ドルのノーリミット・ホールデムで優勝ブレスレットを獲得することにある。

 私がネルと出会ったのは、大学のころのルームメイトを通じてだった。その友人は2010年代の半ばに引退するまで、ポーカー界のトッププレイヤーとして活躍していた。大学時代にはよく姿をくらまして地下のトーナメントやオンラインゲームに没頭し、その後は近くの先住民が経営するカジノに出入りするようになった。