【大人の教養】チンギス・カンだけでは築けなかった…モンゴルを世界帝国に変えた「意外な皇帝」とは?
世界史上の君主を語るとき、チンギス・カンの名を外すことはできない。しかし、モンゴル帝国がユーラシアを結ぶ「世界帝国」へと飛躍した背景には、もう一人の重要人物がいた。二代目皇帝オゴデイである。彼が整えた駅伝制「ジャムチ」は、情報、人、物資を高速で動かし、帝国の支配を大きく変えた。軍事力だけでは、広大な領土は動かせない。道と駅をつなぐ仕組みこそが、征服地をひとつの経済圏に変え、後のロシア国家にまで痕跡を残したのだ。
Photo: Adobe Stock
モンゴルを世界帝国に変えた「意外な皇帝」とは?
世界史上の君主ランキングのようなものをつけるとしたら、チンギス・カンは間違いなくトップテンに入るだろう。モンゴル帝国、あるいは大モンゴル国は、チンギス一代だけであそこまで大きくなったわけではない。だが、チンギスがその出発点を作った、最も重要な人物であることは疑いようがない。
では、チンギスの次にモンゴル帝国へ大きく貢献した人物は誰か。私は、二代目のオゴデイではないかと思う。
オゴデイの功績として大きいのは、チンギスの代から始まっていた「ジャムチ」と呼ばれる駅伝制を、全国規模に拡大していったことだ。さらに、その交通網のターミナルとして、カラコルムという宮殿も造営している。
モンゴルがユーラシアを制覇していくうえで、道路や交通網はきわめて重要だった。広大な地域を支配するには、軍事力だけでは足りない。情報を速く届け、人を移動させ、物資を運び、交易を活発にする仕組みが必要になる。その基盤を整えたという意味で、オゴデイの役割は非常に大きかった。
モンゴル帝国を動かした駅伝制「ジャムチ」のすごさ
駅伝制とは、馬が一日に駆けられる距離ごとに「駅」を設け、その駅を伝って情報や人を運ぶ仕組みである。日本でいえば、飛脚の馬版のようなものだ。「駅」という漢字に馬偏がついていることからもわかるように、もともと駅とは、馬が一日に走れる距離ごとに設けられた宿場を意味していた。
駅には必ず厩舎、つまり馬小屋があった。一日かけて馬を走らせたあと、そこで新しい元気な馬に乗り換え、次の駅を目指す。これを繰り返すことで、最短時間で情報を伝えることができた。このジャムチの整備によって、モンゴルの支配は一段階変わった。征服した地域を単に押さえるだけでなく、ユーラシア全体を結びつける仕組みが生まれたのである。交通路が整備されることで、交易は活発になり、人と人との交流も進んだ。モンゴル帝国が単なる征服国家ではなく、世界帝国へと飛躍していくうえで、これは決定的な意味を持っていた。
ロシアにも残った、モンゴル帝国の知られざる置き土産
そして、モンゴルの影響は、帝国が解体した後にも残り続けた。その一例が、現在のロシア国家の原型となったモスコヴィア、すなわちモスクワ大公国である。モスクワ大公国は、ある意味でモンゴルの後継国家と見ることもできる。実際、駅伝制や戸籍調査といった制度を、モンゴルから大きく継承していた。
その痕跡は、言葉の中にも残っている。たとえばロシア語には、財政や財務、金融、お金に関する語彙の中に、スラヴ系やヨーロッパ系の言語とは異なる響きを持つものがある。そこにはモンゴル語やトルコ語の影響が見られるという。
さらに、駅伝制の宿駅にあたる言葉も興味深い。現在のロシア語で「駅」を表す言葉は別にあるが、古い宿駅を指す言葉に「ヤム」がある。これは、モンゴルの駅伝制を意味する「ジャムチ」がなまったものだと考えられている。そう考えると、オゴデイが整えた交通制度は、単にモンゴル帝国の内部を支えただけではなかった。ユーラシアの各地に制度として受け継がれ、後の国家のあり方にまで影響を与えていったのである。
オゴデイの時代から、モンゴルはまさに世界帝国になったと言えるのではないか。チンギス・ハンが帝国の扉を開いた人物だとすれば、オゴデイはその帝国を広大なユーラシアへと本格的に機能させた人物だった。そして、その仕組みはモンゴルの時代を超えて、後のユーラシア世界にも長く影を落とし続けたのである。
(本稿は『地図で学ぶ「深読み」世界史』著者へのインタビュー記事です)









