市場がパニックに陥ったとき、それを止める制度がなかったのです。その役割を事実上担っていたのが、J・P・モルガンでした。
市場を信じてもいない
止めることすら厭わない
恐慌が起こるたび、彼は自分の利益計算よりも先に、「市場が止まるかどうか」を考えました。資金繰りが詰まりそうな銀行に私財を投入する。他の銀行家を自邸に集め、融資や合併の条件を詰め、合意が取れるまで外に出さない。
これは英雄的行為に見えるかもしれません。しかし、モルガン自身は道徳的使命感で動いていたわけではありません。彼は理解していました。市場が壊れれば、自分も生き残れないという事実を。
重要なのは、彼の視点の置きどころです。J・P・モルガンは、市場の中のプレイヤーとして振る舞っていませんでした。
誰が儲かるか。どの株が上がるか。どの銀行が勝つか。そうした問いは、彼にとって二次的でした。彼が見ていたのは、信用の連鎖が切れるかどうか。資金の循環が止まるかどうか。金融システムが「機能し続けるかどうか」です。
私たち個人投資家は、市場の中で生きています。価格の変動に一喜一憂し、損益で結果を測る。勝つか負けるか。退場するか続けるか。
しかし、J・P・モルガンは市場を利用する側にいました。市場を信じてもいないし、市場に身を委ねてもいない。必要であれば、市場の流れを止めることすら厭わない。ここに、金融システムの非対称性があります。
金融危機が起きて、収束されたとき、多くの人はこう考えます。「市場は誰のために救われたのか」。答えは単純です。市場は、「みんな」を救うために収束するのではありません。システムを維持するために収束するのです。
守られるか、切られるか
危機の前から決まっている
J・P・モルガンが守ろうとしたのは、個々の投資家ではありません。個々の銀行でもありません。市場という「仕組み」が壊れないこと。そのためであれば、誰かが切り捨てられることもあり得る。部分的な犠牲は、全体の存続のために受け入れる。
これは冷酷に聞こえるかもしれません。しかし金融システムとは、そもそもそういう思想で作られています。







