それは主義? はたまた事情??
「AかBか」という主義が分かれそうなトピックをあらためて考える、人気エッセイストの古賀及子さんによる書き下ろし新刊より抜粋・再構成して公開します。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)

暮らしの信じ方Photo: Adobe Stock

パンを食べるという絶対的な意気

 もう簡単に考えを改められるとは思えない、朝食は強固なパン派だ。

 十八歳のころ、進学を機に転がり込んで世話になった父方の祖父母宅では、祖父も祖母も、完全に固定されて何にも惑わされない強さをもってパン派として生きていた。

 それまで暮らした実家は、ややパン優勢も、ご飯の日もあったから、おそらく私が今、朝にパンを食べ続けるのは、祖父母の影響によるところが大きい。

 祖父母の、絶対に朝はパンという気持ちは、強い意向というよりは長年積み重ねた、積み重ねすぎた習慣によるもののように見えた。

 ルーティーンが崩れると、暮らしの調子は狂う。余計な思考で熱量が消費されて疲れる。祖父母のような老人にとっては大きな負荷だろう。

 遠心力に身を任せ、いつもの軌道を外れずすごすことで、精神的にも肉体的にも平衡を保つ、この気分はまだあのころの祖父母の年齢に達しない四十代の私にもある。

 祖母はフジパンの「本仕込」の六枚切りを買い続け、私が同居を始めたころには毎朝一枚を四分の一だけ、切って食べていた。

 あまりの少なさに、かえって、それでもパンを食べるという絶対的な意気を感じる。祖父は六枚切りの半分。ふたりとも、一枚食べることはない。

 トースターは使わず、毎朝ガスコンロの網の上で焼き色がつくまで焼いて、その上に、各自でマーガリンの「ネオソフト」と、大きな瓶に入ったいちごのジャムを乗せる。私もふたりにつられ、一枚食べるのは多いように思えて半分を、同じようにマーガリンといちごジャムで食べた。

 祖父が脳梗塞で倒れ、そのあと死んで、祖母と私のふたりになってからもまったく同じように私たちは本仕込を食べ続けた。

片面はこんがり、もう片面はふわふわ

 同居から七年後、私は祖母のもとを離れ独立する。何も考えることなく朝はパンを選んだ。

 スーパーで売られる袋に入った食パンを、何も考えずに買った。

 ただし私が選ぶのは“そのときいちばん安く売っているやつ”であって、伝統の本仕込は引き継がず、安いのを買っては食べる朝をそれからずっと、続けてきたのだった。

 祖母のように焼き網を使うのは、うちでは早くからガスをやめてIHのコンロにしてしまったものだから諦めて、オーブンレンジのトースト機能を使って焼くのに習慣は収束した。

 一気に焼けるトースターとは違って、焼き上げるのに八分もかかるうえ、途中でひっくり返す必要があるのだけど、慣れてしまえば放っておけばいいだけだから時間がかかってもそれほど気にはならない。

 そのうち、途中でひっくり返すのは面倒だからやめた。

 だからうちの朝の食パンは、片面だけこんがり、もう片面はトーストされずにふわふわのリバーシブル仕様で、これはこれでおもしろいのではと納得している。