それは主義? はたまた事情??
「AかBか」という主義が分かれそうなトピックをあらためて考える、人気エッセイストの古賀及子さんによる書き下ろし新刊より抜粋・再構成して公開します。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)
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前回≫7/24公開、なぜ朝食はご飯よりパンなのか? あまりに身もふたもない理由【古賀及子さん書き下ろし(1)】
八枚切りと六枚切りのあいだをたゆたう
焼き方のほかにもうひとつ大きな変化があって、それは家族内での六枚切り派と八枚切り派の分裂だ。
祖母と離れ離れになってからも、私はずっと祖母と同様六枚切りを購入し続けていた。
子どもたちには成長に合わせて量を調節していたのだけど、あるとき、サンドイッチを作るのに買った八枚切りの食パンを娘が気に入った。薄くてさくさく食べやすいのが好みのようだ。
食パンのn枚切り論は、00年代から10年代にはテレビのバラエティ番組などでよく盛り上がったテーマではなかったか。
大阪を中心に西日本では分厚い四枚切りが好まれ、東京など東では六枚切りや八枚切りといった薄いものが好まれる。東海地方には他の地方ではあまり見かけない五枚切りも存在する……といった調子だ。
近ごろは東京でも五枚切りが珍しくなくなり、文化の境目がじんわりと曖昧になりつつあるように見えるけれど、人に聞くと、やはり強めに好みの主張があるようだ。
八枚切りの食感に魅せられ六枚切り主義を曲げながら、それでもやっぱり量が寂しいなと六枚切りに戻るなど、私自身は八枚と六枚のあいだをたゆたっている。
スンとしてパン
こうして心静かに思い返すと、朝はパン派だという自覚は強固で、実際の習慣も間違いなくパン食なものの、基本的には、ただただ、なんとなく食べているのだなと気がつく。
実は、食べるうえではパンでなくても構わないのだ。旅に出てどこかへ宿泊して、朝食がバイキング形式で出るとなったときには、ご飯やお粥を選ぶこともある。選択肢に麺が入れば、おもしろがって食べる。
結局、パン食が続いている大きな理由は、支度をするのが楽だからなのだった。
朝食として、パンの対抗馬はもちろんご飯だろう。
比べるとパンの方が圧倒的に手軽だ。ただ、買ってくればいい。ご飯はお米を炊かないと食べられない。
もちろん炊いた状態でいくらでも売ってはいるけれど、割高だ。パンはお米とは逆で、小麦粉で買うよりも袋入りで売られているのを買う方が、ずっと安い。
それにどうだろう、ご飯はばらばらしている。あらためて言及する機会は少ないが、ご飯というのは、粒が細かい。朝の散漫な注意の中では、お釜で炊くのにも、炊けたあとお茶碗によそうのにも、あの小ささがどうにも不安材料になる。
炊いたり盛ったりするのには、夜の倍の集中を要する。いっぽうでパンだ。ただ、スンとしてパンではないか。
存在のシンプルさに、私は朝、助けられているのだと思う。
かつては祖母の焼いてくれるパンをただむしゃむしゃ食べ、自らが家の主たる炊事担当者となって以降は、支度の楽さから、ありがたがってパンを選び取っている。
これが私の、朝はパン、の正体だ。





