誕生当初、自動車は平均年収の4倍もする超高級品。日本の「最後の将軍」をはじめ、ごく一部の富裕層だけが持つ特権でした。そんな手の届かないぜいたく品を、誰もが乗れる必需品へと変えたのが米フォード・モーターの創業者ヘンリー・フォードです。彼はいかにして社会の常識を覆したのか? 世界を変えた大革命から、「新しい当たり前」を生み出すヒントを紐解きます。

「年収4年分の超高級品」を誰でも買える必需品に変えた男の発想・ベスト1Photo: Adobe Stock

フォード流・常識を覆す「新基準」の生み出し方

ヘンリー・フォード(1863~1947年)は、アメリカの実業家。現代の大量生産技術を確立した人物として知られる。農業経営の家庭に生まれ、若くして機械工となり、職を転々とした後、発明王トーマス・エジソンの会社に勤める。ここで初期の自動車製造にも携わり、エジソンの会社を退職後、フォード・モーターを設立。自動車の本格的な生産を開始し、ベルトコンベヤーを用いたライン生産方式を導入。「T型フォード」と名づけられた自動車の大量生産を実現した。それまで高価だった自動車を庶民が手に入れやすい価格に引き下げるとともに、生産性の向上によって従業員の給与を倍増させた。この成功は、大量生産社会の到来を象徴する一方、反労働組合的な立場や反ユダヤ主義的な思想を掲げていたことから、歴史的な評価には賛否両論がある

自動車の始まりは「超」がつくほどの高級品

今から140年ほど前の1886年、ドイツで世界初の「ガソリン自動車」が誕生しました。

開発の立役者となったのは、ドイツの技術者であるゴットリープ・ダイムラーとヴィルヘルム・マイバッハです。また、同じ年にカール・ベンツという人物も独自に自動車を完成させました。彼らの技術はドイツの自動車産業の礎となり、のちに会社が合併して、現在も世界中で愛される「メルセデス・ベンツ」が誕生します。

その後、自動車はドイツからフランス、イギリス、アメリカへと海を渡って広まっていきました。しかし、当時の自動車は今とはまったく違う立ち位置でした。王侯貴族や大金持ちの実業家など、ごく一部の人しか持つことができない「手の届かないぜいたく品」だったのです。

日本への上陸と、あの「最後の将軍」の愛車

日本に初めて自動車がやってきたのは、世界での誕生から12年後の1898年(明治31年)だといわれています。1903年(明治36年)に大阪で開かれた大きな博覧会をきっかけに、日本でも少しずつ自動車の存在が知られるようになりました。しかし、やはり乗れるのは皇族や華族といった限られた人たちだけでした。

実は、その貴重な自動車を持っていた日本人の一人が、江戸幕府の最後の将軍・徳川慶喜です。新しいもの好きだった慶喜は、晩年に自動車を愛用していたと伝えられています。

江戸時代には武士として馬にまたがり、明治時代に入ると自転車、そして自動車へと乗り換えていったその姿は、日本の急激な近代化をそのまま表しているようで、とても興味深いですね。

「誰もが買える車を作りたい」フォードの挑戦

そもそも、なぜ当時の自動車は一部のお金持ちにしか買えなかったのでしょうか? 最大の理由は、シンプルに「価格の高さ」でした。

当時のアメリカの平均的な世帯年収は約750ドルでしたが、自動車はなんと1台3000ドル以上。年収の4倍もするような価格では、一般の人には到底買えるものではありません。

この常識をひっくり返したのが、ヘンリー・フォードです。1903年に「フォード・モーター」を設立した彼は、まず手頃で実用的な小型車「モデルN」を発売して大成功を収めます。しかし、本当の目標はもっと先にありました。

伝説の名車「T型フォード」が社会を変えた

「もっと安く、もっと多くの人に自動車を届けたい」

そう考えたフォードは、車の作り方そのものを根本から見直し、効率よく大量に生産できる仕組み作りに挑みました。そして1908年、伝説の名車と呼ばれる「T型フォード」が誕生します。

この車は単なる大ヒット商品ではありません。お金持ちのための「ぜいたく品」だった自動車を、誰もが日常的に使える「生活必需品」へと変えたのです。T型フォードは、人々の暮らしを豊かにしただけでなく、20世紀の産業や社会のあり方そのものを大きく変える大革命を起こしました。

※本稿は『リーダーは世界史に学べ』(ダイヤモンド社)の著者による特別原稿です。