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仕事では、速く、正確に、同じ品質で仕上げることが求められる。そのための便利な道具は増え続けている。効率化の先で、私たちは何を失うのかを考える。※本稿は、現象学者の村上靖彦『生き延びるための会話 他者と生きることの哲学』(SBクリエイティブ)の一部を抜粋・編集したものです。
会話の余裕がないとき
人は何を失っているのか
技術の進展とともに、言葉が均質化して失われていく。しかし、テクノロジーは言葉の消失の表面的な原因にすぎないように感じられる。
テクノロジーの加速化を要請する圧力がある。生産を追求し利潤を最大化しようと駆り立てる力こそがその圧力だ。
資本主義社会は、生産を最大化するために、数値を最重視して効率化と競争を強いる。19世紀後半に成立したテクノロジー、帝国主義による資源や労働力の収奪と、社会全体を数値化する趨勢は、今現在も人を支配する原理だ。資本主義社会のもとで、人は生産活動の歯車となっている。
無駄話をすることや話を聴くことは、効率的に業務を遂行することとは対立する。なんの役にも立たない無駄話をすることにどんな意味があるのだろうか。
制約のない無駄話の時間は、僕たちにどんな意味をもたらすだろうか。スケジュールで行動をしばられ会話の余裕がないとき、僕たちは何を失っているだろうか。
今の社会は、効率を重視するばかりに雑談を消そうとする。無駄を減らそうとすればするほど、会話は失われ、生きている実感は失われる。
数字で判断することが
現代社会のルールになった
工業化と技術の進展によって数字が重要になったが、そのターニングポイントは19世紀後半にある。
社会や人間の心理にも統計が用いられ、社会学や心理学といった学問が成立した。自然だけでなく、人間の営みも数値によって客観的に扱うことができるようになる。さらに同時期に整備された近代の大学制度のもと、学問全体が客観的数値を基軸にするようになる。
19世紀後半からの西欧型社会では、資本が自己増殖することが社会の軸となる。利潤が投資に回され、よりいっそう利益を生み出そうとしたのだ。
このとき、生産性を高めることが絶対的な価値となった。19世紀の半ばに生まれたダーウィンの進化論や、整備されていった統計学も、この流れを後押しする。近代的なテクノロジーが輸送手段を高速化し、戦後はコンピューターを発達させて演算を高速化していったことも、19世紀に数値と効率に価値をおく社会が生まれた延長線上にある。
数値とともに判断することが現代社会のルールとなった。客観的な数値データを利用することで時間と労力が節約される。AIの普及は節約の行き着く先だろう。思考の加速化がついに人間を不要とするまでにいたったのだ。







