仕事を頑張っている。収入もある。欲しいモノも買っている。それなのに、ふと「何のために生きているんだろう」と虚しくなる。そんな虚無感は、人生がうまくいっていないから生まれるとは限りません。『やりたいことが見つかる 世界の果てのカフェ』には、一見すると順調なのに満たされない人が陥っている、ある生き方が描かれています。「何度読んでもハッとする」と話題の一冊から、相談者に響いた名言について紹介する。(構成/ダイヤモンド社・種岡 健)

「虚無感が止まらない人」の特徴・ワースト1Photo: Adobe Stock

「頑張ったご褒美」が必要になる毎日

 仕事で疲れた金曜日。
「今週も頑張ったから」と、おいしいものを食べる。

 休日には服を買う。
 新しいスマホや家電を買う。
 旅行に出かける。

 そうやって自分に「ご褒美」を与えている人は多いだろう。
 もちろん、ご褒美が悪いわけではない。

 ただ、一つ考えてみてほしい。
 なぜ、それほど頻繁に「ご褒美」が必要なのだろうか。

世界の果てのカフェ』という本には、こんな言葉がある。

「当時は、ちっともおもしろくなかった。すごく不幸で、自分の人生をコントロールできていないような気がしていたの。あの頃は、人生にとても合理的なアプローチをしていたように思っていたの。週末もずっと働いたから、ご褒美として、新しい服と最新の電子機器と新品のおしゃれな家具を買って当然よ、ってね」
――『世界の果てのカフェ』より

 頑張って働いたから、モノを買う。
 一見すると合理的だ。

 しかし、その「ご褒美」が、つらい日常を耐えるための埋め合わせになっているとしたら、少し話が変わってくる。

「仕事→消費→仕事」を繰り返していないか

 さらに本書では、その生活がどうなっていったのかが語られる。

「でもね、問題は、いつも働いていたから、せっかく買った自分へのご褒美を使う時間がほとんどなかったということよ。家に遊びにきた人が、ステキね、と褒めてくれるんだけど、私自身は、それを十分楽しめるほど家にいなかったの。
 ある日の晩に、私は、これで今月の収入を使い果たしてしまった、と思いながら、請求書の山を片づけてベッドに倒れ込んで天井を見上げたの。そうしないと涙がこぼれそうだった。人生が自分の横を通りすぎていくような気分だった。私は、どうでもいい仕事をするのに人生を費やして、それを埋め合わせるために、これまたどうでもいいモノを買っていたのよ。
 さらに困ったことに、自分がやりたいことに戻るためには、定年退職できる60歳まで働き続けなければならない。そんな計画で本当にいいの? と思って……」
――『世界の果てのカフェ』より

 これは、怖い循環だと思う。
 働いて疲れる。
 疲れを埋め合わせるために、お金を使う。
 お金を使ったから、また働く。
 そして、また疲れる。

 これを何十年も繰り返す。

 生活は成立している。
 それなのに、自分が本当にやりたいことには、ほとんど時間を使っていない
 だから、虚しくなる。

 虚無感とは、何も持っていない人だけが感じるものではない。
 たくさん持っているのに、「自分の人生を生きている感覚」がない人にも訪れるものなのだ

「何が自分を満たすか」は自分で決める

 では、どうすればいいのか。

 本書では、人生に疑問を抱いた女性が、街を歩きながら人々を眺める。

「この人たちは幸せ? この人たちはしたいことをしている? この人たちは満たされている?」
 そして、立ち寄ったカフェで、こんな言葉に出合う。
「難しいのは、何が自分を満たすのかは自分が決める、と気づくことだ。他の誰かが教えてくれるのではなくて」
――『世界の果てのカフェ』より

 高い給料。立派な肩書。おしゃれな家。ブランド品。海外旅行。
 世間から「幸せそう」と思われるものを、いくら集めてもいい。

 しかし、それによって自分自身が満たされるとは限らない。
 何があれば幸せなのかは、他人に決めてもらうことではないからだ

ワースト1は「自分の人生の穴を、モノで埋める」

「虚無感が止まらない人」の特徴・ワースト1。

 それは、「やりたくないことによって生まれた虚しさを、消費で埋め続けていること」だ。

 虚しくなったとき、「何を買えば気分が上がるだろう」と考える。
 その前に、一度だけ別の質問をしてみる。

「私は、何をしているときに本当に満たされるのだろう?」

 本を読むことかもしれない。
 家族と過ごすことかもしれない。
 何かを作ることかもしれない。
 人の役に立つことかもしれない。

 答えは、人によって違う。
 だからこそ、自分で見つけるしかない。

 虚無感を埋めるために必要なのは、次の「ご褒美」ではない。
 自分の時間を、自分が本当に満たされることに使うこと

 その小さな変化から、「自分の人生を生きている」という感覚は戻ってくるのである。