クイズ王たちの著書も次々に出版されました。とくにその嚆矢となった長戸の『クイズは創造力』3部作は、早押しクイズの構造やクイズ番組の裏側を紹介し、のちのクイズ界に大きな影響を与えました。

参加者を知り尽くすクイズ王が
番組制作のキーマンになった

 ここで注目すべきなのは、クイズ王は解答者として出演するだけではなく、ときには番組制作の側に参加していたことです。たとえば、『史上最強』立ち上げ当初から重要な役割を果たしていたのは、自身が大学在学中から「学生クイズ王」と呼ばれていた有名クイズプレイヤーの道蔦岳史でした。

 道蔦は過去『ウルトラクイズ』で2回予選を突破したほか、他の番組でも計10回以上の優勝を経験したクイズ王であり、既存のクイズ番組の傾向を熟知していました。さらに言えば、有力プレイヤーたちとも親交があり、そのひととなりについてもよく知っていました。

 これはきわめて重要です。ここでは出題側が過去のデータベースを自覚的に理解しているうえに、参加者がどんなことを知っているか(どんな対策をしているか)についても把握していることになります。

 この関係性がよりよく見える例に、「クイズ王ブーム」期に放送された『オールスター激突クイズ 当たってくだけろ!』(TBS系列、1990年~1993年)があります。この番組は芸能人チームとクイズ王が対決するというスタイルで、のちに多くのフォロワーを生んだ形式の先駆けとなりました。道蔦岳史はこの番組にクイズ王の一員として出演し、芸能人を圧倒する正解を披露するだけでなく、企画段階からブレーンとして参加し、形式の考案や、自分以外の出演者を決めるための予選問題の作成を担当しました。

 また、問題作成スタッフのひとりである大木一美は、道蔦ほか多くの有力者とともに自宅でクイズの会合を開いており(「大木塾」と呼ばれていました)、第1回『史上最強』ではプレイヤーとして準優勝の成績を残しています。