読売新聞グループ本社代表取締役主筆を務めた渡辺恒雄 Photo:SANKEI
「メディア界のドン」の
異名を取った渡辺恒雄
東京・荒川区にある6年制中高一貫の私立男子校だ。1871年創立という伝統校だ。東京大学合格者ランキングで44年連続してトップを誇る日本指折りの進学校だ。
明治から令和に至るまで、多様な分野で活躍する卒業生を輩出しているが、まずはメディア、文芸、音楽、演劇…などで才能を開花し存在感を発揮している人物に焦点を当ててみよう。
2024年12月に98歳で死去した渡辺恒雄は、「巨星墜(お)つ」と表現された。読売新聞グループ本社代表取締役主筆を務め、通称「ナベツネ」と呼ばれた。「メディア界のドン」「政界のフィクサー」の異名を取った人物だった。
その渡辺は旧制開成中学で猛勉強し、本来5年の旧制中学を「4年修了」で旧制東京高校に合格、さらに東大文学部哲学科に進学、卒業した。読売新聞社に入り、政治記者として鳴らし、同社の独裁者になった。
ただし渡辺は、戦前の1939年に開成中学を受験したものの、東京府立第一中学(現日比谷高校)など「志望校はことごとく落ちた。…結局受かったのは第四志望の開成中学だった」(著書『君命も受けざる所あり』より)と回想している。
戦前から戦後すぐにかけて開成は、目立った進学校ではなかった。都内北部の荒川区という土地柄から、浅草や上野の商店主の息子や、千葉、埼玉県から通う生徒が多い、下町のバンカラ校だった。渡辺が「第四志望」とした由縁だ。
『坂の上の雲』の主人公の
正岡子規と秋山真之
開成高校の校歴を、振り返ってみよう。ルーツは、1871年設立の「共立学校」だ。幕末の金沢藩士・佐野鼎(かなえ)によって創立された。米国帰りで、のちに首相、日銀総裁になる高橋是清が校長の座に就き基礎が固まった。
大学予備門(のちの旧制一高)への進学者のための受験予備校、というのが共立学校の特色となった。予備校なので在籍期間は短く、「卒業」という体裁を取らない者も多かった。
開成は明治の一時期、「東京府立」になったが、すぐに「私立」に戻り、1901年に私立東京開成中学になった。戦後の学制改革で、新制の6年制中・高一貫校になった。男子校であることは、変わらなかった。
70年代に入ると開成は、東大合格者ベスト10の常連校になった。東京都教育委員会が67年、都立高校入試に「学校群制度」を導入したことにより、日比谷、戸山、新宿など都立高校の大学進学実績は軒並み落ち込んだ。その反射的現象として、開成中・高校に優秀な生徒が集まってきたのだ。







