新刊『暮らしの信じ方』(ダイヤモンド社)の著者であるエッセイスト・古賀及子氏と、作家・安達茉莉子氏が、隣町珈琲で対談を行った。独自の視点で「読ませるエッセイ」を書き続けるコツについて、話が弾む。(文/飯室 佐世子)

暮らし対談

「世界を書く」という発想

安達茉莉子(以下:安達):古賀さんの文章って、読んでいると一個一個の描写がやけに記憶に残るんですよね。その力ってどうやって身につけたんですか?

古賀及子(以下:古賀):それはやっぱり、日記の力だと思います。
 私、日記に自分のことを書くつもりがあまりないんですよね。自分の内面を書くことに、あんまり興味がなくて。

安達:え、そうなんですか。

古賀:世界を書きたいんです。世界がおもしろくてしょうがないから、書きたくなる

安達:あ、でもちょっとわかるかも。私、子どものころミステリーハンターに憧れていたんですけど、今も「世界の記録係」みたいな目線で暮らしている感覚があります。

 ちなみに、世界を書くためには何が必要ですか?

古賀:自分ではコントロールできないこととか、自分の知らない様子を見つけて、驚いて、尊敬して、おもしろがることだと思います。それって、謎を解くってことなんじゃないかなって。

安達:謎を解く?

古賀:「これはなんでこうなっているんだろう」「なんでこういうことが起こるんだろう」ってどんどん深めていくというか。日記を書く時も、ずっと謎を解こうとしてる感覚があるんです。

安達:へえ! 『暮らしの信じ方』を読んでも思ったんですけど、本当にあらゆるものをおもしろがっていて、「ここまで見てるのか!」って驚くことばっかりだったんです。日記の力って強いんですね。

古賀:確かに、日記とエッセイ、使ってる筋肉は同じかもしれないですね。

安達:古賀さんの場合はさらに、おもしろがったものを自分の文体にして表現できるっていうのが強みだなと思っていて。
 独特の流れやリズムは、やっぱり量を書いているから見出せたんですか?

古賀:そうですね、体力がつくまでは、量を書いて世の中に出し続けていくしかないと思います。

 数を打てば、自分の中の好きな文章の書き方が理解できていきますよね。

 安達さんは、どんな風に世界を見てるんですか?

安達:自分の中にある「誰かの記憶」を書くことが多いかなぁ。外から得たものは書けるんですけど、自分悩みとかを書こうとすると、筆が止まっちゃうんですよね。

古賀:わかります。自分の悩みを書けるって、才能ですよね。

ネタは、日記の中に無限にある

安達:日記がきっかけでエッセイストデビューされてるわけですが、今も日記は続けているんですか?

古賀:続けてます。私がエッセイに書くのは、ほとんど身辺雑記なので、日記は大事なヒントになるんです。
 過去の日記を読み返して、「これはエッセイになりそうだな」、って探してます。

安達:日記がネタ帳になって、ストックとして機能してるんですね。

古賀:そうです。だって、日記に書いている時点で勝ち上がってきている事象なんですよね。

安達:勝ち上がってきている?

古賀:日記には一日の中で起きたことをすべて書けるわけじゃないから、あえて書きとめた出来事っていうのは、自分の中で「これはおもしろい」って、判断された情報ですよね。

 日記に残っている時点で、結構な倍率をくぐり抜けてきてると思うんです。

「おもしろい」は訓練できる

安達:とすると、「これはおもしろい」って判断する目がないと、その倍率を通過させられないですよね。それは、生まれつき備わっているものですか?

古賀:訓練だと思います。おもしろいと思ったことをメモするんです。いや、訓練というよりも、心掛けかな。おもしろいものがないって思わない。あるんです。

安達:訓練と心掛けで身につく?

古賀:そうなんです。見て感じているだけじゃダメで、おもしろいと思った瞬間にメモする

 そうしないと、なくなっちゃうから。その心掛けに大きな差があると思います。

安達:私も最近、スマートウォッチのメモ機能に音声入力でその場の気づきを記録するようにしてるんです。それも訓練のひとつかもしれないですね。

古賀:安達さんは訓練というよりも、もう実装してると思います!

 日々、おもしろいと思ったことを見逃さずに拾っていく。その積み重ねが、結局は独自の視点になっていくんだと信じてます。