カンナも働いている。駈が養わなくては生きていけないような女性ではない。ならば駈は、15年という期限のかわりに、「父にならなくてもいい」という許可を得て、妻との時間を過ごすことができた。

 15年の期限を知ることで、彼は家父長制的成熟モデル――男性は結婚したら出世して稼ぐ夫・父にならなければいけないという思い込み――から解放されたのではないだろうか。

 カンナは「恋愛感情がなくなると、結婚に正しさが持ち込まれます」と述べた。そして駈にとって、正しさとは、妻と子を養う父になるべく仕事で稼ぎ、出世することだったのではないか。だが実際は、そのような正しさから脱却することによってはじめて、結婚後も恋愛感情をなくさずに済んだ。

『「夫婦」不在社会』書影「夫婦」不在社会』(三宅香帆、講談社)

 つまり坂元作品的主題に沿うのであれば、子どもを持たない期限つきの夫婦関係ならば、男女の恋のロマンチックさは保たれる。なぜなら結婚における男女の役割を背負わなくていいから。男性的な働き方をしなくていい。

 15年でいいなら、相手を養わなくていいなら、駈にとって、ロマンチックな恋愛と、結婚生活で相手を幸せにすることの距離が埋まるのだ。

 駈の考え方を、令和らしくない、極端なものだと思うだろうか?私にはそうは思えない。

 ロマンチックな恋愛の延長線上にある対等な夫婦関係のモデルは、おそらくまだ私たちには提示されていないのだ。駈が考える「男性的な働き方」は、いまだに社会の主流であり続けている。そしてそれは夫婦関係のディスコミュニケーションを生んでいる。