おもにロシアなどを担当する外事一課の四係には「ウラ」と呼ばれる尾行や摘発専門の精鋭部隊がある。彼らが、内調職員(仮にXとしておく)がロシアのスパイと会食しているという情報をつかみ、さっそくXの尾行を開始したのだ。
Xは駐日ロシア大使館のベラノフ二等書記官と定期的にレストランで会食を行なっていた。
「ウラ」の捜査員は店員や客に変装し、2人の会話を高性能集音マイクで録音。ベラノフがXに現金を手渡しているところも、隠しカメラでしっかりおさえた。
Xが最後にベラノフと会食することになっていたのは2007年12月9日のこと。神奈川県川崎市のレストランにXが足を踏み入れるや、外事一課の捜査員に取り押さえられた。ベラノフは公安の動きを察知してか、その3日前にロシアに帰国していた。ロシア大使館にいる安全確保の担当者が公安に尾行されていることに気づき、ベラノフに知らせていたのだろう。
ロシアから受け取った謝礼は
総額約4000万円に達した
Xが最初にロシア大使館の関係者に接触したのは、国際部門に所属していた1998年のこと。折から内調のトップが職員に対して「協力者をつくって情報を取ってこい」と号令をかけていた。しかし、Xは警察出身ではなく、政府系の外郭団体の出なので、「協力者」を作る訓練など受けていない。スパイに対してもまったくの無防備なので、ロシア側にしてみれば、まさに“カモネギ”である。
最初に協力者になったのは、ロシア大使館のリモノフ一等書記官だった。リモノフは、GRU(ロシア軍参謀本部情報総局)に所属するれっきとしたスパイだった。
『警視庁公安部外事課 スパイ・テロを水面下で阻止する組織の実態』(勝丸円覚、光文社)
Xとリモノフは月に一度の割合で、会食をしながら情報交換を行なった。食事代はリモノフ持ち。リモノフは手土産も持参し、最初はハンカチセット程度だったが、次第に1万円相当のハイウェイカードや商品券、そして現金(5万円)へと変わっていった。任期を終えたリモノフが帰国し、協力者がグリベンコ一等書記官に代わった後も、この習慣は続いた。
2001年、リモノフが参事官として再びロシア大使館に赴任すると、2人の交流は再開した。当時、Xは国際部門から内閣衛星情報センターに異動になっていた。
内閣衛星情報センターは、人工衛星を使って各国の軍事基地などを偵察する機関である。そこが握る情報は、ロシアとしても欲しくてたまらないものだっただろう。Xはリモノフの要求に応え、機密情報をリモノフに流し続けた。
その頃には、レストランも高級店へとランクアップし、謝礼の額も10万円に倍増していた。
結局、Xが受け取った総額は約4000万円。Xは贈収賄と国家公務員法(守秘義務)違反容疑で書類送検され、2008年に懲戒免職となった(後に、機密の重要性が低かったと判断され起訴猶予処分に)。内調の前身である内閣総理大臣官房調査室が発足したのは1952(昭和27)年。職員が情報漏洩で立件されたのは初めてのことだった。







