ただ番組の面白さの中心である「ヤンキーファンタジー」を成立させるためにほとんど焦点が当てられてこなかったものがある。それが出演者たちの「加害者性」である。
暴走族や喧嘩、少年院といった過去を現実の問題として掘り下げれば、その向こう側に迷惑を受けたり、傷つけられたりした人の存在も浮かんでくる。そこまで見えてしまえば「ヤンキーだけど実はいい人」という物語には乗りにくくなる。
そこで『ラヴ上等』は登場するヤンキー以外を極力排除する演出が取られている。
ヤンキーの男女が暮らすのは、シーズン1は山奥の学校、シーズン2は敷地のほとんどが海に囲まれている学校と、いずれも出演者を日常社会から切り離し、閉じた場所に置く。さらにドローンによる空撮で、外界から隔離されていることを強調するような演出も取られている。
またセットは80、90年代のヤンキー文化や平成のギャル文化を現代風にアレンジした、ダサさとかわいさの絶妙なデザインで、ある種のファンタジー世界に見えるようにしてある。
シーズン1では子ども食堂、シーズン2ではシークヮーサー農家やバナナ農園の手伝いなど、閉じた学園の外へ出て地域の人々と交流する場面も用意されているが、それはヤンキーたちの人間らしさを強調するための演出といえる。
『ラヴ上等』の出演者は、その閉じた世界の中では仲間を思いやり、恋する相手には優しく、悩む人がいれば寄り添う。まさにヤンキー漫画が描いてきた「実は優しい不良たち」であり、何も考えずにみれば「いい人」として見えてしまう。
はたして本当にそうなのだろうか。
以前、ギャルタレントのゆきぽよが「ヤンキーって実は優しい」という趣旨で「彼氏も爆音でバイクに乗るが自宅近くでは音を小さくする」と話した。その際、アンガールズの田中卓志が「町ではうるさくして人に迷惑かけといて、自分の彼女とか身の回りではいい顔する、それが嫌いなんだよ」と反論したという話が、SNSでも長く語り継がれている。
これは、そのまま『ラヴ上等』にも重なる。







