「えらいやつってのは始めからワルなんかにならねぇの! 正直で正しい人間がえらいにきまってるだろ!」

「こいつから金とられたまじめな学生やバイクとられた人の方が悲惨でしょう!? 『正直者がバカをみる』の手本を示しているこいつのどこが立派なんですか?」

 40年前の漫画だが、この両津の指摘した違和感は古びていない。本当に褒められるべきなのは、ドロップアウトしたあと戻ってきた人ではなく、そもそもドロップアウトせず、誰かを傷つける一線を越えなかった人でもあるはずだ。

「人に火をつけた」発言が炎上後、プロデューサーであるMEGUMIは出演者について「過去も今もすべてをさらけ出し、覚悟を持って」参加したとして、誹謗中傷や心ないコメントをやめるよう呼びかけたが、鎮静化どころかむしろ火に油を注いでしまう結果となった。

 そもそも「覚悟」とは何なのだろうか。過去の加害行為を自ら公の番組で話すのであれば、その行為について批判されることまで含めて「さらけ出す」ということではないのか。

 鎮静化を狙うのであれば、MEGUMIに求められていたのは、出演者の身内として彼らを守ることだけではなく、プロデューサーとして外側にいる人たちにも目を向けることだったのではないか。元ヤンキーであるMEGUMIのコメントは奇しくも、アンガールズ田中が批判した「身内には優しい」というヤンキーの論理そのものに見える。だからこそ、批判する人たちには届かなかったのではないだろうか。

『ラヴ上等』が描こうとした「悪そうだけれど、実は優しい」というヤンキー像が全く嘘だとは思わない。彼らは本当に仲間思いで、恋人にも優しいのだろう。ただ、それと過去に誰かを傷つけたことは両立するものだ。

『ラヴ上等』がこれまで映してきたのは、ヤンキーたちが愛する人に見せる顔だった。そしてシーズン2で炎上しているのは、その画面の外にいた人々が見た、もう一つの顔が初めて可視化されてしまったからではないだろうか。