過去の成功体験に縛られ、現場を軽視した巨大組織が、変化に強い新興勢力に敗れ去る……。経営の失敗は末端への負担となり、組織は崩壊の危機へ。これは現代の企業ではなく、約1000年前の「宋」が陥った罠でもあります。この絶望的な状況下、硬直化した組織と既得権益にメスを入れたのが改革の旗手・王安石。その痛みをともなう大改革の軌跡から、激動の時代を勝ち抜く変革の要諦と、真のリーダーシップのあり方を解き明かします。
※本稿は『リーダーは世界史に学べ』(ダイヤモンド社)をもとに編集したものです。
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王安石の変法
長すぎた平和がもたらした組織の停滞と改革のドラマ
安定を最優先した「中央集権・管理部門主導」の組織体制
北宋時代の政治家で、新法と呼ぶ改革を進めた王安石が、抜本的な財政再建に乗り出した背景には、当時の宋(北宋:960~1127年)が抱えていた深刻な「組織の構造的課題」がありました。
宋は、唐滅亡後の長期にわたる戦乱(五代十国時代)を収束させて誕生した国家です。そうした背景から、建国当初より「内部の安定と平和の維持」を最重要課題と位置づけました。具体的には、軍部(現場の武闘派)の暴走を強く警戒してその地位を意図的に下げ、代わりに超難関試験(科挙)を突破したエリート官僚(文官)が主導する体制を構築したのです。
外交面でも争いを避け、北方の強国・遼とはコストを払ってでも和平を結ぶ(1004年「澶淵の盟」)など、徹底した平和志向を貫きました。現代の企業に例えるなら、現場の裁量を制限し、管理部門によるガバナンスと社内秩序を最優先した状態といえます。
新興勢力の台頭と「現場軽視」が招いた軍事的敗北
しかし、平和と安定に最適化された組織にも転機が訪れます。建国から約80年後、西北の辺境に「西夏(1038~1227年)」という新興勢力が突如として現れました。
自らを皇帝と名乗る西夏に対し、宋はついに武力での対処に踏み切ります。ところが、ここで平和志向の組織体制が裏目に出ました。軍人の地位が低く、実戦経験に乏しい文官が現場の軍事指揮を執っていたため、宋の軍隊は著しく機能不全に陥っていたのです。結果として、宋は機動力に勝る西夏に幾度も敗北を喫してしまいます。
これは、現場の声を軽視し、本社主導の意思決定に偏りすぎた大企業が、変化に強い新興の競合他社に後れを取る構図に重なります。



