AIに代行してもらったのに、不思議と仕事が減る気配はない。人類学者のデヴィッド・グレーバーが著書『ブルシット・ジョブ』で述べたように、業務では膨大なやりとりをしているが、それらはほぼ脊髄反射で行うものであり、自分で試行錯誤しながら思考を積み重ねるわけではない。

「60かける60で3600。つまり1時間は3600秒です」とは、同語反復である。新たなことは何も語っていない。外交員から言葉がとめどなくあふれてくるのだが、しかしそこには内容が何もない。

 外交員は効率的に生活することで時間を蓄えることを勧め、時間を節約することの重要性を語るために言葉を重ねていくのだが、このとき増えていく言葉は空虚だ。無駄を減らして効率的にあくせく働いたときに、実は僕たちは生きる時間を失ってしまう。

 時間を節約すると、なぜか言葉がインフレーションを起こし、同時に意味が失われていく。時間の節約は、どのように言葉の過剰と言葉の喪失を生むのだろうか?

会話までもオンラインでの
消費に置き換わった時代

 現代は言葉であふれている。なぜ、こんなにもあふれるようになったのか。

 ひとつには、テクノロジーの進化とともに、対面でなくとも、やりとりをすることができるようになったからだ。古くは飛脚や馬車で運ばれた手紙、次に電信や電話、ポケベル、そして携帯電話からスマートフォンへとやりとりの手段は変わった。スマホによって、いつでもどこでも誰とでも直接会話をすることができる世界は、僕が若い頃には想像できなかった世界である。スマホは世界と言葉の姿を大きく変えた。

 総務省によると、短いメッセージをやりとりするポケベルが普及したのち、1987年に携帯電話が登場する。当初は肩掛け式だったがだんだんと小型化し、普及するのが1990年代後半である。

 日本でiPhoneが発売されたのは2008年だった。個人がいつでもどこでも誰とでも、距離を飛び越えて言葉を交わすことができる環境は、つい最近成立したことなのだ。僕が学生だった1990年頃は、まだ彼女と連絡を取るのに、わざわざ自宅の固定電話にかけて、電話口に出た親御さんに取り次いでもらっていた。