複数の情報源で
必ず裏を取る

 真贋を見分ける3つ目の方法は、複数の異なる情報源に当たることです。私は職業柄、研究論文の査読をよく担当します。同じ分野の研究者や大学院生が書いた論文が、学術雑誌の掲載に値するかどうかを判断する仕事です。研究論文ですから、先行研究の引用がかならずあるのですが、最近論文のなかで存在しない文献に遭遇しました。私の知っている研究者の書いたありそうな内容の文献なのですが、私が知らない文献でした。

 そこで、自分の勉強不足を悔いながら、インターネットで検索してみました。ところが、一向にヒットしないのです。あちこち調べてみた結果、先ほどChatGPTのところで見た私の書籍と同様に、捏造であると判断せざるをえませんでした。

 研究者たるもの、ありもしない文献を載せることは絶対にやってはいけない行為です。自分の研究論文に先行研究を引用する最大の理由は、その研究の独自性(オリジナリティ)を明らかにするためです。過去の研究を参考にしながらも、過去の研究が明らかにしてこなかった点があり、その点を自分の研究が初めて明らかにしたことを証明するために研究者は先行研究を引用するのです。

 しかし、その先行研究が存在しないものなら、独自性はどうやって明らかにするのでしょうか。自分の研究を過去の研究のなかにどう位置づけ、それらとのつながりをどうやって示すのでしょうか。研究が過去から未来へと学術成果のバトンをつないでいく歴史的営みである以上、架空の歴史に刻まれた論文は無価値です。そんなことは研究者ならばわかっているはずなのに、どうして現役の研究者、または研究者を志す者がそうした引用を行うのか、理解に苦しみます。

『本物の読解力』書影本物の読解力』(石黒圭、SBクリエイティブ)

 もしこのような架空の論文が世に出たら、査読者の私も同罪です。だから、どんなに面倒でも必死で裏を取らざるをえません。この裏を取る、すなわち調べるという手間を怠る人が最近増えてきているのが気がかりです。この傾向は生成AIの普及と軌を一にしているように感じられます。生成AIの普及は「書く」ことだけでなく、「調べる」こと、さらには「考える」ことさえ人間から奪ってしまいかねません。

 生成AIを効果的に使うことは悪いことではありませんが、一線を越えてはいけません。また、私たちが一線を越えていなくても、一線を越えてくる人がいる以上、それに警戒を怠ってもいけません。インターネットで少し調べればわかるのに、調べる手間を惜しむと、知らぬ間に自分が偽情報を流す側になってしまいます。

 現代は、発信の自由と生成AIという魔法の道具を手にしたのと引き換えに偽情報が出回る時代であり、私たちには真贋を見抜く高度な情報リテラシーが求められています。目の前にある文章には偽情報が含まれる、そうした前提で文章の内容を確かめながら読むことが必要とされているのです。