ストラディヴァリなども職人集団の工房を持っていたわけですが、1人の職人がすべての工程を一貫して担うことを徹底していました。そのおかげで「製作」ではなく「制作」となって、一つひとつの楽器が芸術品としての価値を持ちえたのです。千住真理子さん(編集部注/ヴァイオリニストであり、日本画家・千住博の妹)の楽器もそうですね。

千住 妹が家でストラディヴァリウスを弾いていると、もう耳をつんざく爆音です。たとえるなら風呂場でグランドピアノを弾くような感じなんです。ストラディヴァリウスはF1マシンですよ。だから普通の人には扱えない。真理子が弾き始めても、鳴りをつかむまでにある程度時間がかかるわけです。それがストラディヴァリという芸術です。

安価な量産品は
「クローン」に過ぎない

酒井 フルートもまったく同じです。安価な量産モデルは初心者でも音の出しやすさを優先させて、歌口の有効範囲を広く取りがちですが、息が分散してパワーが出ません。これが手工品ですと、歌口の有効範囲が狭い分、息が正しく当たれば豊かに鳴り響くようになります。

 そうした楽器などを作る工程や精神性が、自然に則る芸術作品と人工物の違いを象徴しています。

千住 それはすべてに当てはまる話ですね。男物のスーツもそうです。多くの人の手が入っているほど安くなる。ある部分は東南アジアで縫い、別の部分はまた違う国で仕上げ、最後に日本でボタンをつけましたという製品は、1着1万円のスーツです。分業で作ったスーツやヴァイオリンも「AI的」ではありませんか。そうやってコストの低い、リスクの少ないものを大量に作っていくようでは、本当に良いものは生まれません。ただクローンを作っているようなものです。

『AI脳クライシス デジタルは人から何を奪うのか』書影AI脳クライシス デジタルは人から何を奪うのか』(酒井邦嘉、集英社インターナショナル)

 AIが小学校の教育にまで介入するということは、日本が文化国家としての存在感を失い、どこも「安売りの分業工場」と化していくということですよね。人間を教えられるのは、人間しかいない。その当たり前の人間的なことが揺らいでいます。AIにどう向き合うかは、決して大げさでなく人類の存亡に関わることだと思います。

酒井 「AIの利活用」が叫ばれる中、「AIを使ってもその先に自分で手を加えればよい」とか「校正はAIにやらせればよい」といった意見がありますが、私は懐疑的です。それは知的なドーピングであって、模倣と創造の一線をあいまいにし、自分の頭を使わないで済ませるという自己欺瞞にすぎないからです。

 AIによって、人々が人間不信に陥ろうとしています。芸術を通した情操教育によっていかに人間性を取り戻すかが、これまで以上に大切になってきていますね。