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「月に何冊読んだか」を読書量の目安にしている人は少なくない。しかし、大量の本や情報を次々とインプットするだけでは、かえって自分でものを考える力が失われる恐れがあるという。では、脳にとって本当に有益な読み方とは何か。「多読より再読」を勧める言語脳科学者の酒井邦嘉氏が、電子書籍にはない紙の本の利点とともに解説する。※本稿は、言語脳科学者の酒井邦嘉『AI脳クライシス デジタルは人から何を奪うのか』(集英社インターナショナル)の一部を抜粋・編集したものです。
読了冊数を自慢する人が
見落としているもの
ここでは読書習慣について、言語脳科学の視点で考えてみたいと思います。
読書が脳に与える影響は計り知れません。本を読むことが思考力や判断力に直結するからです。それが「読書習慣」として常態化すれば、その効果は際限なく累積しうると言えます。
読書は趣味や知識獲得といった域を超えて、薬にもなれば毒にもなりえます。哲学者のショウペンハウエルは、次のように述べています。
「時にはぼんやりと時間をつぶすことがあっても、ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失って行く。〔中略〕だが熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる」(ショウペンハウエル著・斎藤忍随訳『読書について 他二篇』岩波文庫、128ページ)。
けだし至言です。読書そのものというより、読書に伴う沈思黙考こそが脳にとって最重要であり、言い換えれば「多読より再読」「濫読より熟読」というわけです。ですから、「ひと月に何冊くらい読みますか?」などといった形で読書量を問うことは適切ではありません。
インターネット上の記事やSNSを読むことを、なぜ「読書」と呼べないかというと、熟慮を重ねることなく情報を渉猟するのにとどまるからです。さらに悪いことに、大量の情報にさらされることで、「しだいに自分でものを考える力を失って行く」恐れがあります。読書をそのレベルに貶めてはなりません。
読書経験を真に有益なものにするためには、選び抜かれた本から何をどの程度深く吸収できるかを、各自が問い直さねばならないのです。
紙の本と電子書籍の
決定的な違いとは
では「本」とは何でしょうか。『三省堂国語辞典 第8版』には、「文章・絵などをかいたり印刷したりした紙のたばを、厚みが出るくらい重ねてとじ、きちんとした表紙をつけたもの」とあります。つまり、製本と装丁は「本」に必須であり、電子書籍は別物ということです。
本の表紙カバーに固有の装丁が施されることで、その本の存在自体が忘れにくくなります。装丁の専門家がデザインを考え、色や紙を選び、1冊の個性ある本の外観を作り上げているわけです。文字の種類や大きさも本によって違い、そういった本の個性がわれわれの理解や記憶を助けます。本のそうした特徴すべてが表現であり、読書は本のデザインを味わう楽しみでもあるのです。うまく分類して書棚に収めておけば、何十年経たっても簡単に取り出せることは、私が自ら実証済みです。
さらに脳は、「本のどこに何が書かれていたか」という情報を自動的に記憶に刻み込みます。紙の本が製本されていることで、既読の部分のページを繰って参照すべき箇所にたどり着くことができるわけです。
紙の本ではページごとの文字の位置も常に一定です。何ページの何行目といった具合に、それぞれの文字について空間的な手がかりがあり、その結果、読み飛ばしが起こりにくくなります。注意を向ける範囲を、ちょうどサーチライトで照らすように、確実に移動していくことができて、それが本を読む際に生理的なリズムを作ります。
記憶にあまり自信がない人でも、探したい記述が左右どちらのページで、そのページのどの辺りだったか、といった空間的な情報を自分が意外と覚えていることに驚かれたことがあるのではないでしょうか。







