ブルーモ証券CEO・中村仁氏の著作の『AIバブル後の投資戦略』より、現在のAI相場で投資をする際に知っておきたい「地政学リスク」についてまとめたコラムを紹介します。

AIバブルと地政学リスクPhoto: Adobe Stock

 AI相場を支えてきたのは、巨額の投資資金だけではない。先端半導体、データセンター、電力、資源、海上輸送、ドル決済といった、世界中に張り巡らされた供給網もまた、その土台だった。だが2026年に入り、この前提を揺さぶる地政学リスクが急速に表面化している。いま起きているのは、単なる地域紛争の増加ではない。グローバリズムを成り立たせてきた国際秩序そのものの逆回転である。

 その転換は、まずベネズエラで輪郭を現した。トランプ政権によるベネズエラ侵攻とマドゥロ大統領の拘束は、中南米の一政変にとどまらなかった。それは、1648年のウェストファリア条約以来、近代国際政治の前提とされてきた主権国家体制への挑戦だった。すなわち、国家は他国の領域と統治権を力で侵してはならない、という原則である。

 もっとも、ベネズエラ侵攻が主権秩序への挑戦だったとすれば、その後のイラン戦争は、国際法秩序の崩壊が世界経済の大動脈を直接揺さぶることを示した事件だった。米国が他国の現職最高指導者を宣戦布告なしに攻撃したことは、国際法上の大きな亀裂を生んだ。さらに重要なのは、その戦争がペルシャ湾岸から世界へ流れる石油・ガスの経路を不安定にしたことである。ホルムズ海峡を通るタンカーの運航、海上保険、原油やLNGの調達、欧州とアジアのエネルギー価格が連動して揺れた。

 エネルギーコストの上昇は、工場の採算を悪化させ、輸送費を押し上げ、データセンターの電力コストにも跳ね返る。つまりイラン戦争は、外交や軍事だけの問題ではなかった。サプライチェーン、インフレ、金融市場、そしてAI投資にまで波及する世界経済の問題だったのである。

 戦後秩序の中核には、国連憲章が定める武力不行使原則があった。これは単なる理想論ではない。企業が国境を越えて投資し、資源を調達し、船舶を動かし、長期契約を結ぶための予測可能性の基盤だった。国際法とは、世界経済にとって一種のインフラだったのである。

 しかし、そのインフラはロシアによるウクライナ侵攻で深く傷ついた。国際社会は主権、領土保全、武力不行使の原則を再確認したが、国際法は違法性を宣言できても、武力を実際に止める力には限界がある。この現実が露呈した後に、戦後秩序の主導者であり保証人でもあった米国自身が、ベネズエラ、さらにイランで一方的な武力行使に踏み込んだ意味は大きい。

 レイ・ダリオは、この変化を「ルールベースの国際秩序はすでに失われた」と表現している。法律や国際機関が消えたわけではない。問題は、誰がルールを作り、誰が執行し、誰が違反しても罰せられないのかという力の論理が、再び前面に出てきたことにある。米国が国際法を根拠にロシアや中国を批判しても、相手は「米国も同じことをしている」と反論できる。国際法は残っても、抑止力は弱まる。すると台湾海峡、南シナ海、中東、朝鮮半島、資源国の政変リスクは一段高まる。

 この変化は、企業のサプライチェーンを直撃する。グローバリズムの黄金期には、企業は最も安い場所で作り、最も効率的な港を通し、在庫を削り、ドルで決済すればよかった。しかし、国際法秩序が揺らぐ世界では、工場、港湾、油田、鉱山、送電網、海底ケーブル、海峡は、単なる経済インフラではなく政治的な交渉材料になる。

 したがって今後進むのは、単純な「脱グローバル化」ではない。国境を越えた取引は続くが、判断基準が変わる。「安いか」ではなく、「守れるか」「制裁に耐えられるか」「同盟圏に属しているか」が問われる。効率より頑健性、低コストより安全保障、単一調達より複線化が重視される。関税、輸出規制、投資審査、制裁は、もはや経済政策だけではなく、安全保障政策そのものになっている。

 この構図が最も鋭く表れるのがAI相場である。AIはソフトウェア産業に見えるが、実際には極めて物理的な産業だ。先端半導体、高帯域メモリ、データセンター、電力、冷却設備、銅、レアアース、リチウム、ニッケル。AIはクラウド上の知能である以前に、資源と電力と半導体を大量に消費する巨大インフラ産業である。

 特に大きなリスクは、先端半導体の供給が地政学的に偏っていることだ。台湾は世界のファウンドリー売上で大きな存在感を持ち、最先端チップ製造でも圧倒的な地位にある。平時には、この集中は効率と技術力の源泉である。しかし、力の秩序が戻る世界では、その集積こそがAI相場全体の脆弱性になる。米国内で半導体製造を強化しようとする動きは、計算資源を海外供給網に任せきれないという安全保障上の要請を映している。

 資源も同じである。レアアース、電池材料、半導体関連装置、AIチップの利用制限は、もはや市場取引だけの問題ではない。国家間競争のカードである。AI相場のリスクは、資金調達や収益化の遅れだけではない。半導体は届くのか。電力は確保できるのか。資源は輸出規制がかからないのか。海上交通は維持されるのか。ドル決済は政治対立の影響を受けないのか。こうした問いが、企業の成長率やバリュエーションを左右するようになる。

 国際法秩序の崩壊は、遠い外交ニュースではない。それは物流の保険料、タンカーの航路、データセンターの電気代、半導体の納期、そしてAI関連株のPERに反映される。グローバリズムの時代、企業は最も安い供給網を組めばよかった。だがこれからは、経済効率とは異なる安全保障の論理でサプライチェーンが再構築される。その過渡期に地政学イベントが重なれば、AI相場に強いブレーキがかかる可能性があるのだ。