第二次世界大戦が始まっても、アメリカは長く「中立」を掲げ、戦争への深入りを避けようとしていた。しかし、ヨーロッパで戦火が広がるなか、その姿勢は少しずつ揺らいでいく。そして1941年12月、真珠湾攻撃を境に状況は一変した。『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からのアメリカ史』から、その歴史を紹介する。
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アメリカ国内戦線
1941年のもうひとつの重要な転換点は、アメリカが枢軸国に対して、ついに宣戦布告したことだった。第一次世界大戦のときと同じように、国民は関わることを嫌がっていたけれど、アメリカはまたも参戦する事態へと引き込まれる。
孤立主義か現実か
アメリカは中立を保とうとした。議会は1935年から1937年にかけて中立法を可決し、アメリカ人が外国に武器を売ることや、お金を貸すことを違法とした。1940年、ローズヴェルトは3期目の当選を果たしたとき(大統領を3期以上務めるのは史上初だった)、情報機関からの報告とチャーチル首相とのやりとりから、アメリカが戦争の瀬戸際に立たされていることを知っていた。
議会はローズヴェルトの要請でアメリカ軍を強化し、1940年には、アメリカ史上初の平時徴兵法となる選抜訓練徴兵法を可決する。1941年3月には、武器貸与法により、連合国に武器や物資を売ったり、貸したりすることが合法化される。この年の8月、ドイツ軍によるアメリカ駆逐艦への攻撃を受け、ローズヴェルトとチャーチルは大西洋憲章を発表する。これは、両国とも戦争において領土の拡大を望まないことや、すべての人々に、自分が選んだ政府のもとで、自分の意思で暮らす権利があると宣言している。
イギリス帝国が「太陽の沈まない国」と呼ばれたほど広大で、アメリカがプエルトリコ、グアム、フィリピンを支配し、キューバにも長く強い影響を及ぼしてきたことを思うと、大西洋憲章はやや偽善的だった。
真珠湾
一方で、日本の首相だった東条英機は、太平洋の島々にねらいを定めた。日本はすでに、アジアの大陸部への侵攻で大きな成功を収めていた。
1941年12月7日(日本時間12月8日)、日本はハワイの真珠湾にあるアメリカ海軍基地を奇襲攻撃した。目的は、そこに停泊するアメリカ海軍艦隊を破壊することだった。攻撃はすさまじく、戦艦8隻のほか、巡洋艦3隻、その他数隻の艦艇が沈没するか、大きな被害を受けた。民間人と軍人、あわせて2403人のアメリカ人が命を落とし、1178人が負傷した。
アメリカの孤立主義的な姿勢から少しずつ抜け出そうとしていたローズヴェルトは、この機会をとらえ、攻撃によって引き起こされたアメリカ国民全体の怒りを利用することにした。彼は翌日、議会に対し、日本への宣戦布告を求めたのだ。そして3日後、ドイツとイタリアがアメリカに宣戦布告し、議会も反撃を宣言した。
国内動員
政府の指示により、産業界は戦車や弾薬をはじめとする軍需品を生産した。その結果、大恐慌は収束し、雇用率はほぼ100パーセントに上昇する。第一次世界大戦時と同じように、新たな政府機関が設けられた。
●戦時生産局は、工場が何を生産するか決めた。食料は配給制となり、国民は「勝利の庭(家庭菜園)」で野菜を育てるように奨励された。
●物価統制局は、インフレを抑制した。
●全国戦時労働局は、労働者と使用者の争いを解決した。
●1942年歳入法により、税金が引き上げられた。また、政府は戦時国債を売ることで、財源を得た。
機会と差別
第二次世界大戦は、女性と有色人種に機会をもたらした。
●「リベット打ちのロージー」のポスターは、女性が工場や防衛産業で働くことを促すために使われた。
●多くの女性が、陸軍女性部隊や海軍の女性志願部隊、空軍女性パイロット部隊に入隊した。ただし非戦闘員としてだった。
●黒人労働運動の指導者のA=フィリップ=ランドルフから、ワシントンDCで抗議活動をおこなうと迫られたことで、ローズヴェルトは大統領令8802号(公正雇用法)に署名し、軍需産業における人種差別を禁止した。
●アフリカ系アメリカ人は、北部や西部の防衛産業の工場で働いた。
●黒人志願兵は、最初は単純労働しか与えられなくて、軍の階級は作業員でしかなかったけれど、最終的には戦闘への参加が認められた。ただし、部隊は人種隔離されていた。有名な黒人部隊としては、タスキーギ=エアメンなどが知られている。
●先住アメリカ人も戦い、さらにはナバホ族の言語に基づいた、解読不可能な暗号の作成にもあたった。
●政府は、ブラセロと呼ばれるメキシコ系アメリカ人労働者を、農作業に従事させるため募集した。
その一方で起きていたこと
●女性と有色人種の労働者は、同じ仕事をしている白人男性に比べて、相変わらずはるかに低い賃金だった。
●都市部でアフリカ系やメキシコ系が増えたことで、緊張が高まり、暴動が起きるようになった。たとえば、1943年にはロサンゼルスで「ズートスーツ暴動」が発生した。これは、当時の若いラテン系男性の服装にちなんでつけられた名前である。
●戦争が終わってからも、アフリカ系、ラテン系、そして先住民は、戦争で戦った人々でさえ、依然として差別を受けた。











