「皇帝」と「民主主義」は、本来なら相いれないはずだ。ところがナポレオン三世は、皇帝となった後も普通選挙や国民投票を手放さず、むしろ自らの権力を支える仕組みとして利用した。議会を飛び越え、「国民から直接支持されている」ことを統治の正統性に変えたのである。選挙があれば民主主義――そう単純には言い切れない。なぜ民主的な制度が、強い権力を生み出すことがあるのか。『地図で学ぶ「深読み」世界史』の著者が、19世紀フランスを舞台に、現代政治にも通じる民主主義の意外な一面を読み解きます。

「皇帝なのに普通選挙」ナポレオン三世が選挙を権力の武器にした意外なワケPhoto: Adobe Stock

皇帝なのに、なぜナポレオン三世は普通選挙を捨てなかったのか

 皇帝と民主主義は、本来なら矛盾する言葉のように見える。ところがナポレオン三世の政治を考えるとき、この二つは切り離せない。

 彼は1848年、男子普通選挙による大統領選挙で圧勝した。その後、1851年にクーデターを起こして議会を押さえ、翌1852年には皇帝となってフランス第二帝政を始める。皇帝なのだから、当然、権力の集中や議会への抑圧、言論統制といった権威主義的な面を持っていた。

 ところが興味深いのは、彼が普通選挙そのものを捨てなかったことである。それどころか、国民投票を繰り返し行い、「自分の権力は国民多数から直接支持されている」ということを正統性の柱にした。ここにナポレオン三世の政治の特徴がある。

 彼にとって普通選挙は、議会政治を強くするためだけの制度ではなかった。むしろ既存の議会勢力を飛び越え、自分と国民を直接結びつけるための手段でもあった。議会の有力政治家たちから支持されなくても、全国の有権者から直接「支持する」という答えを得られれば、自分こそ国民の意思を代表していると主張できる。

 だから帝政でありながら、選挙を廃止するのではなく、利用するのである。

普通選挙があっても「自由な政治」とは限らない

 もちろん、ここで注意しなければならないことがある。第二帝政、とくにその前半の選挙は、現在の意味で完全に自由で公正な選挙だったわけではない。政府は「官選候補」を支援し、行政機構を通じて選挙に強い影響を及ぼした。新聞や政治活動にも厳しい制約があった。

 つまり、普通選挙が存在したことと、自由な議会政治が存在したことは同じではない。

 それでもナポレオン三世が、国民多数の支持を繰り返し確認することに大きな意味を置いたのは確かである。単に軍隊や官僚機構だけを頼りにするのではなく、「自分は国民から選ばれ、国民から支持されている」という形を必要とした。

選挙が「強い権力」を正当化する武器になるとき

 この仕組みは、現代政治を考える上でも興味深い。選挙があるからといって、必ずしも権力が分散するとは限らない。圧倒的な人気を持つ指導者が「自分こそ国民の意思を代表している」と主張すれば、選挙や国民投票が、強い権力を正当化する装置になることもある。

 その意味でナポレオン三世は、「民主主義を否定した皇帝」というより、「普通選挙や国民投票を、自らの権力の仕組みに組み込んだ皇帝」と見る方が実像に近い。

 国民の声を完全に封じるのではなく、その支持を直接確認し、それを議会に対抗する権力の根拠として使う。ナポレオン三世の政治には、選挙と権力集中が同居していた。民主的な制度が存在することと、自由な政治が行われることは、必ずしも同じではない。その複雑さを、19世紀半ばの時点ですでに示していたのである。