私としては無用な混乱や摩擦を避けるために講じた策だったが、後に聞いたところによると一部の日本人幹部からは、
「西川ではなく、おれたちが記者会見を仕切ってもよかったのに……」
といった不満が噴出したらしい。
当時はゴーン逮捕という異常事態を乗り切ることが最重要課題で、私自身もそこに集中していた。残念ながら、こうした社内の不協和音にまで気を回す余裕などなかったというのが正直なところだ。
今津監査役の報告から何日後だったか記憶はあいまいだが、丸の内にあるホテルの一室で担当検事と面会した。
西川廣人 著『わたしと日産 巨大自動車産業の光と影』(講談社)
形のうえではゴーン会長の関係者の1人に対する事情聴取であり、私は質問される側だったはずだ。しかし私はゴーン会長の不正行為については全くなにも知らなかった。だから実際は担当検事の質問とその背景説明を通じて、私の方が不正事案の詳細や捜査の焦点を教えてもらう形になった。
検察は捜査を進める中で「社長の西川は不正に関与していない」との確証を得たため、私を秘密裏に呼び出したのだろう。
担当検事に会った後、これは社長の私1人で対処しきれる問題ではなく、何人かのサポートが必要だと悟った。それで法務のベテランの部長級と私のエグゼクティブ・アシスタント(課長級)の2人に状況を説明し、検察側との連絡、社内調整に当たってもらう必要最低限の体制をつくった。
その頃、内部調査に当たってきた法務の専門家や弁護士らから「緊急の要請」を受けた。これまでの日産の法務体制は民事専門であり、かつ国際的な案件に対する体制はそれなりに手厚かったが、日本国内の事案に臨む体制は必ずしも強固ではなかった(つまり日本語を話す専門家が手薄だったということだ)。そのため今回のような日本の司法の下における大がかりな刑事事案に対処するには、専門の弁護体制が必要である、という至極もっともな話だった。
それで元検事の経歴を持つ高名な弁護士に急遽対応をお願いし、内部調査の担当弁護士と連携する体制を築いた。とにかく私だけでなく、会社全体が初めて経験する異常事態だった。







