貧困に苦しむ人々を救おうとする政治家は「善人」で、大衆の支持を集めようとする政治家は「打算的」――。そんな単純な二択では、歴史の本質を見誤るかもしれない。19世紀フランスの皇帝ナポレオン三世は、男子普通選挙が始まる前から貧困や労働者の問題に目を向け、やがて社会政策を大衆の支持へと結びつけていった。なぜ彼は時代の変化をいち早くつかむことができたのか。『地図で学ぶ「深読み」世界史』の著者・伊藤敏氏が、その巧みな政治術と、近代政治の意外な本質を読み解く。
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ナポレオン三世は、普通選挙より前から「貧困」に目を向けていた
ナポレオン三世の政治で興味深いのは、比較的早い時期から貧困や労働者の問題に強い関心を示していたことである。
まだ皇帝になる前の1844年、ルイ=ナポレオンは『貧困の絶滅について』という文章を書いている。題名だけを見ると、かなり現代的に感じられる。そこでは、貧困を単なる個人の問題ではなく、国家や社会が取り組むべき問題として考えようとしていた。
これは1848年にフランスで男子普通選挙が導入されるより前のことである。
19世紀半ばのヨーロッパでは、産業化によって都市労働者が急速に増えていた。しかし政治の中心にいたのは、依然として地主や資産家、名望家だった。労働者は社会の中で存在感を増していたものの、政治の中心的な担い手とはまだ見なされていなかった。
ルイ=ナポレオンは、かなり早い段階からそこに目を向けていた。
労働者を救うことが、そのまま「票」につながる時代が来た
もちろん、それを純粋な慈善精神だけで説明することはできない。1848年に男子普通選挙が始まると、労働者を含む成年男性の多くが有権者になった。すると貧困や労働問題への関心は、社会改革であると同時に、大衆の政治的支持を獲得する問題にもなっていく。
しかもルイ=ナポレオンには、議会の中に強固な自前の政党組織があったわけではない。既存の政治エリートだけに頼るより、農民や都市の労働者など、より広い大衆に直接支持を求める必要があった。
そのため第二帝政では、公共事業や都市改造、金融制度の整備などを通じて経済成長を進める一方、しだいに労働者への政策にも力を入れていく。特に1860年代になると、労働運動に対する規制も一部緩和され、1864年には一定の条件のもとでストライキが認められるようになった。
「善意か打算か」の二択では、ナポレオン三世を理解できない
ここがナポレオン三世の面白いところだ。社会政策と権力政治が、きれいに分かれていないのである。
労働者の生活を改善すれば、それ自体が社会改革になる。しかし同時に、政権への支持も生まれる。公共事業を増やせば都市は便利になり、仕事も増える。その成果を「皇帝が生活をよくしてくれた」と感じる人が増えれば、それはそのまま政治的な力になる。
だからナポレオン三世の労働者政策を、「善意だったのか、打算だったのか」という二択で考えると、本質を見失う。
重要なのは、彼が普通選挙の導入以前から貧困や労働問題に関心を示し、普通選挙が始まった後には、その社会的関心を大衆政治の中へ組み込んでいったことである。
政治の相手が一部の資産家だけではなくなり、何百万人という大衆へ広がっていく。その変化に比較的早く適応したところに、ナポレオン三世という政治家の特徴があったのである。









