
シマケンが説く守破離の極意
曖昧なままだった。
直美にはりんの感覚が理解できる。でもその表現はまた違う。
直美「なんか、患者さんからシュッて感じで」
りん「え? ふわっとくる感じじゃなくて?」
直美「うん、シュッとも違うか」
りん「ああ、同じ患者さんでもその時々で違う感じもあるしね」
これは実際に看護婦の人に取材したことから書いているのだろうか。看護婦さんもこんなこと言いそうな気はする。職人的な人は最後は勘でしかなくて、なかなか言語化できないものなのだ。
勉強熱心でちょっとした疑問に食らいついていくツヤ。
「患者さんに合わせてばかりいると、食事を取らなかったり、お酒を飲んだり、ためにならないこともありますよね」という質問は鋭かった。
りんのように言語化できない達人は難しい。唯一無二すぎて後進を育てられないからだ。孤高のスーパー看護婦として生きていくならそれでいい。だが彼女は養成所で教えている。自分の背中を見て学べ、方式ではなく、誰にでも間違いなく伝わる教えも残してほしいものだ。
それに関してヒントになりそうなことが起こる。
りんがシマケンの看護に行くと、彼は何か書いていた。また小説でも書き始めたのかと思うと、そういうわけではなく日記。「何か書き残しておかないと、もったいない気がして」。確かに、胃がんからの生還の記録は残しておきたくなるだろう。
しばらく何も書かないと「随分と下手になった」「言葉が何も出なくなる」とまた悩んでいるシマケン。
それを聞いてりんは、シマケンのように文章を書くことに精通している人物でも訓練を休むと言葉が出なくなるのなら、自分がうまい言葉を探そうとしてもダメなはず、とホッとする。
患者さんの変化に気づくにはどうしたらいいかと聞かれて言葉が浮かばなかったことをシマケンに話す。
新潟時代は、思いついた断片を紙に書いた。大事な要素をひとつひとつ書いたカードのようなものだった。だがいまは、看護の大事な根っこのようなものを言語化する必要があるような気がしている。
シマケンは、それは「守破離」――千利休の考え方をりんに伝授。
教えを守りながら、それを破って離れていくとき、自分の勇気が生まれる、と言う。
何を言ってるのかちょっとわかりにくいが、りんはいま、これまで自分が学び守ってきたものを、新たな形にしていく過渡期なのだということと解釈した。







