「考えすぎ」の指摘は
車線変更の合図

 では、どうやって車線を変えればいいのでしょうか。その前に、もう一つだけ、お伝えしたいことがあります。

「考えすぎ」という言葉の誤解についてです。

 私事ですが、法人営業をしていた頃、悩んでいると周りから「いいからやろうよ」「若いんだから動けばいいんだよ」と、よく言われました。

 当時の私は、心の中でこう拗ねていました。

「一緒に考えてくれよ」「すぐ実行できるタイプならいま悩んでないんだよ。一緒にしないでくれ」

 年齢を重ねたいまなら、行動の大切さはわかります。でもあの頃の私には、その言葉はまったく響かなかった。むしろ、傷ついていました。

 ある相談者さんは、こんな話をしてくれました。

「友人に相談したとき、『考えすぎだよ』って言われて。悪気がないのはわかってるんです。でも、私の悩みって、そんなに小さいことなのかなって思ってしまって」

「考えすぎ」と言われると、自分の悩みを無意味なものとされたように感じてしまう。でも、違います。

 悩みが長いのは、性格のせいではありません。思考しているのに進まないのは、情報・感情・意味が絡み合っていたからです。相談できないことが、悩みを長期化させています。考える力があるから、詰まっていたのです。

 そして、もう一つあります。

「考えすぎ」という言葉も、実は悪い言葉ではなかったのです。いまなら「考えすぎだよ」と言われたとき、こう思えます。

「ああ、車線変更の合図ね。ありがとう」

 考えすぎ。感じすぎ。動きすぎ。やりすぎ。聞きすぎ。人から「~すぎ」と言われるものは、センスが動いている証拠なのです。センスは、センサーから来ています。感覚が、何かを感じ取っている。それは弱さではありません。むしろ、強みです。

「考えすぎ」と言われたら、それは「いま、情報の車線が詰まっているよ」という合図かもしれません。「感じすぎ」と言われたら、「感情の車線が詰まっているよ」という合図かもしれません。