平気でいられたのは
引き算からの結論

 社長と衝突した後、48歳で国際業務部長の職を解かれ、部署移動を迫られました。その後、55歳で、実質的な子会社であるビル管理会社へ出向します。この会社では、子会社に出た人間が本社に戻った例が1つもありませんでした。理由が社長との対立にあることは、僕にも周りにもわかっていました。公認の窓際です。

「よく平気でいられますね」

 この時期、周りからよくそう言われました。強がっていると思われたのでしょう。しかし、実際、たいして平気だったのです。

 種を明かせば、またしても算数でした。

 大きな会社で、社長になるのは何人か。同期が200人なら1人、社長が5年務めるとして1000人に1人です。ということは、残る999人は、1人残らず、どこかの時点で本流から外れます。早いか遅いかの違いだけで、外れない人はいない。意地悪な見方でも、負け惜しみでもありません。ただの引き算から導き出される結論です。

 その引き算に自分を当てはめれば、あの左遷は、こう言い換えられます。

 僕も本流から外れた多数派に入ったか。それだけのことでした。ほとんど全員が通る門を、自分の順番でくぐっただけです。老いることも死ぬことも、みんなが通る道ですが、会社人生の左遷も同じ種類の道なのですから。

250人の部下を持つ部長→社長に反論して左遷…出口治明がそれでもヘッチャラだった理由出口治明さん近影 画像:扶桑社

解任の翌日に圧勝した
7世紀のイスラムの武将

 平気でいられた理由は、もう1つあります。歴史です。

 気に入らない部下を遠ざける。これは、洋の東西を問わず、権力を持った人間が何千年も繰り返してきたものです。当時、僕の頭に浮かんだのは、7世紀のイスラムの武将、ハーリド・イブン・アル=ワリードでした。彼は、「アッラーの剣」と讃えられた名将です。

 彼の主君であった初代カリフが世を去り、後を継いだのは、ワリードと折り合いの悪いウマルでした。そんなワリードの元に届いたのは、解任の通知です。しかも、大きな決戦を目前に控えた日のことでした。

 ワリードは、この通知を静かに受け取ったと伝えられます。天敵が頂点に立った以上、自分が外されることは計算のうちだったのでしょう。そして翌日、彼は戦場に立ち、圧勝しました。