こういう話をいくつも知っていると、自分の身に起きた出来事が、人類が飽きるほど繰り返してきた光景の一場面だとわかります。歴史の知識は、冷たい水の中では浮き輪になります。面白がって集めたものが、いざというとき身を助ける。学びとは、そういうものだと思います。

 こうして僕は、出世競争から降りました。降りたというより、もともとしがみつく気持ちが薄かったのかもしれません。

愚痴をこぼすのは
いちばん不幸なこと

 では、具体的に寒流をどう泳いだか。僕が自分に課したことの第一は、愚痴をこぼさないことです。

『老いと死をファクトで考えてみた』書影『老いと死をファクトで考えてみた』(出口治明、扶桑社新書)

 断言しますが、寒流で人がいちばん不幸になるのは、水の冷たさによってではありません。愚痴によってです。人間にとっていちばん不幸なことは、愚痴をこぼすことだと、僕は本気で思っています。

 理由を言います。愚痴とは何かを突き詰めると、「変えられない過去を、口の中で反芻すること」です。あの人事は不当だった。あいつが悪い。昔は良かった。全部、過去の話です。そして過去は、何をどうしても、1ミリも変えられません。変えられないものに、貴重な現在の時間と気力を注ぎ続ける。これほど割の合わない投資はありません。

 しかも愚痴には、たちの悪い性質があります。こぼすたびに、心が腐っていくのです。魂が腐る、と言ってもいい。愚痴を口にするたび、人は自分の不遇を、自分に言い聞かせ直しています。俺は被害者だ、私は不当に扱われている、と。その自己暗示が積もると、ものの見方全体が被害者の色に染まり、目の前にある小さな好機や、面白いことが、見えなくなっていきます。腐るとは、そういうことです。