昔、インドに、幼いわが子を亡くした母親がいました。悲しみのあまり、彼女は冷たくなったわが子を抱いたまま、町をさまよい、「この子を生き返らせる薬をください」と人々に乞い続けます。見かねた人が、彼女をブッダのもとへ連れて行きました。
ブッダは、彼女にこう言います。「その薬を作ってあげよう。ついては、芥子の実をもらってきなさい。ただし、これまで1人も死者を出したことのない家の、芥子の実でなければならない」と。
母親は、喜んで駆け出しました。芥子の実など、どの家の台所にもあります。ところが、1軒目。「芥子の実はあるが、うちは去年、主人を亡くしましてね」。2軒目。「差し上げたいが、うちも息子を」。3軒目も、4軒目も。日が暮れるまで訪ね歩いて、死者を出したことのない家は、ただの1軒も、見つかりませんでした。
そして、歩き疲れた母親は、気づくのです。死んだのは、私の子だけではなかった。死は、どの家の戸口もくぐっている。人は、みな、死ぬのだ。彼女はわが子の亡骸を葬り、ブッダのもとへ戻って、弟子になったと伝えられます。
自分で集めた事実による
納得だけが心の底まで届く
この話で注目してほしいのは、ブッダが母親に、何をしなかったかです。彼は、「死は誰にでも訪れるものです、諦めなさい」と説教をしませんでした。正しい理屈を、言って聞かせなかったのです。代わりに何をしたか。彼女自身の足で、一軒一軒、事実を集めさせた。言ってみれば、戸別訪問の全数調査のようなもの。2500年前に行われたフィールドワークであり、統計調査です。
なぜ、そうしたのか。ブッダは知っていたのだと思います。人からの説得で得た納得は、心の表面で止まる。自分で集めた事実による納得だけが、心の底まで届く、と。母親を救ったのは、慰めの言葉ではなく、彼女が自分の足で確かめた「死者を出したことのない家は1軒もない」というファクトでした。データとファクトで考えるという、この本で繰り返してきた流儀は、実は2500年前に、とっくに実践されていたのです。しかも、悲しみのどん底にいる人を救う方法として。







