大統領選では75%もの票を集めて圧勝したナポレオン三世。ところが、その絶大な人気とは裏腹に、議会では思うように政治を進められなかった。なぜ、国民からこれほど支持された人物が、議会では苦戦したのか。その背景には、「個人の人気」と「政党・議会の力」という、現代政治にも通じる大きなねじれがあった。『地図で学ぶ「深読み」世界史』の著者が、ナポレオン三世が国民投票へ傾き、やがてクーデターと帝政へ向かっていった政治の構造を読み解く。

大統領選で75%を得票、それでも議会では苦戦…ナポレオン三世の「決定的な弱点」とは?Photo: Adobe Stock

75%を得票しても、議会は思い通りにならなかった

 ナポレオン三世が1848年の大統領選挙で圧勝したのに、議会では必ずしも強固な基盤を持っていなかった。この一見矛盾した事実は、彼の政治を理解する大きな手がかりになる。

 本人は全国的な知名度を持ち、「ナポレオン」という名前で膨大な票を集めることができた。しかし、それは彼を支える政党組織や議員集団が強かったことを意味しない。大統領選では個人として勝てても、議会政治では組織がなければ思い通りに政策を進めにくい。つまり、ナポレオン三世は「人気はあるが、組織が弱い」という状態から出発したのである。

なぜナポレオン三世は「議会」より「国民投票」を選んだのか

 だからこそ、彼は議会の有力者に依存するよりも、国民に直接支持を求める政治へ傾いていく。国民投票を用い、自分の権力を「国民の意思」によって正当化する。普通選挙も維持する。大規模な公共事業や社会政策を進める。これらは近代化政策であると同時に、議会の外側に自分の支持基盤を作る手段でもあった。

 ここには、現代にも通じる「個人人気」と「政党政治」の緊張関係が見える。選挙で圧倒的人気を得た指導者が、議会や既存政党を「国民の意思を邪魔する存在」とみなし始めることは珍しくない。

選挙で強い指導者が「権力集中」へ向かうとき

 ナポレオン三世の場合、その行き着く先は1851年のクーデターと翌年の帝政樹立だった。この構図を見ると、なぜ彼が議会よりも国民投票を好んだのかも分かる。議会では多数派を形成できなくても、全国民を相手にした人気投票なら勝てるからだ。

 彼を最初から単純な独裁者だったと見るだけでは、この流れは分かりにくい。選挙で強い個人が、弱い議会基盤を補うために国民との直接的な結びつきを強めていった。その結果、民主的な制度と権力集中が結びついたのである。