養老孟司氏 Photo:SANKEI
「できるだけ失敗したくない」「正解を選びたい」――そんなふうに、人生の先を読んでから動こうとする人は少なくない。だが、かつて東大の研究者たちは、なんと「雪男がいるかどうか」を本気で調べるため、ネパールまで探検に出かけていた。なぜ、そんな「わからないもの」を追いかけたのか。養老孟司氏と柳瀬博一氏が、予測できない世界と向き合う意味、そして「いい人生とは何か」と悩む若者に伝えたい人生の答えについて語り合う。※本稿は、解剖学者の養老孟司と東京科学大学リベラルアーツ研究教育院教授の柳瀬博一『虫とマンガと日本人 養老孟司のキャラクター論』(PHP研究所)の一部を抜粋・編集したものです。
マンガが教養になったのは
1970年前後の学園紛争の頃
柳瀬 1960年代当時、マンガは社会的にどんな立ち位置だったんでしょう。
養老 人気があったのは事実だし、東大の学生たちも読んでいた。ぼくも好きだった。けれど、いちいち話題にはしなかったかな。マンガが若者の一般教養のようになったのは1960年代後半から70年代初頭の学園紛争の頃じゃないでしょうか。あの頃に世の中が変わった。学生たちがゲバ棒片手に研究室に押しかけてきて、「この非常時にのうのうと研究なんかしてやがって」と叫んでいたのを強烈に覚えています。(あれ、戦争中の「物言い」と同じだな)と驚きました。
柳瀬 なんとも皮肉な話ですね。でも、そんなとき「右手に(朝日)ジャーナル、左手に(少年)マガジン」というフレーズが学生たちの間で流行ったと聞きます。つまり、マンガがある種の教養となった。
養老 むしろそれまでは、大学の研究の現場こそ、マンガっぽかったんですよ。自由で伸び伸びしていた。マンガみたいな構想に学者が大真面目に取り組んでいた。
柳瀬 そうなんですか!







