露骨に言えば、企業は社員のスキルが分からない状態のまま適当に職場に突っ込んで働いてもらっているのではないか、ということです。とすれば、この問題は単なる通訳問題ではなく、今現在存在しない能力評価システムを更地に作るという難題だということになります。

 これは考えてみれば大変皮肉な事態です。なぜなら、日本の企業は、日経連が1969年に発表した『能力主義管理』以来、「能力主義」に基づいて人事労務管理をやってきたはずだからです。

 過去半世紀以上にわたってやってきた「能力主義」とは一体何だったのでしょうか。職能資格制度の中核に位置してきた「能力評価」とは、一体何を評価してきたのでしょうか。少なくともそれが通訳を介せば「産業界」に通じるような代物ではなかったことだけは確かなようです。

「能力」は何でも含む
曖昧な概念だった

 ここではまずこの『能力主義管理』が何を論じていたのかを見ていきましょう。

 その問題意識は「従来の年功・学歴を主な基準とする人事労務管理から可能な限り客観的に適性・能力を把握し、それにもとづく採用・配置・教育訓練・異動・昇進・賃金処遇・その他の人事労務管理への移行をすすめること」にあり、「われわれの先達の確立した年功制を高く評価する」けれども、「年功・学歴は能力と関係する限り認めるが、それ以上の評価は認めない」と、「能力」概念を人事労務管理の中核に押し出したものです。

 ではその「能力」とは何かというと、「企業における構成員として、企業目的達成のために貢献する職務遂行能力であり、……一般には体力・適性・知識・経験・性格・意欲の要素からなりたつ」といいます。

 なんだか分かったような分からないような抽象的で曖昧な定義ですが、むしろそこにこの概念の妙味があったというべきでしょう。この6要素のどれかに関わる限り何でも「能力」に入れることができるからこそ、各企業で自社の都合に合わせて様々な「能力」主義を実践することができるからです。