しかし、クワクは日本で働き、税金も社会保険料も払い、地域社会の一員として生きてきた。憲法25条1項は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定め、生活保護法はその権利を具体化したものだと考えられている。

 最高裁判所自身も、憲法上の権利が外国人にも認められるか否かは、憲法の条文が「国民」という言葉を使っているか否かではなく、権利の性質によって決められると言っている。そうであれば、国籍にかかわらず、憲法25条を基礎として、「いきるけんり」を認めることもできるはずである。こうして、クワクは「いきるけんり」を求めて訴えを提起した。冒頭の文書は、クワクが千葉地裁に提出した陳述書からの引用である。

「血が通っていない、冷酷な判決」
とクワクの弁護団長は憤った

 裁判所が出した答えは、クワクの訴えを全面的に否定するものだった。

 まず、2024(令和6)年1月16日の千葉地裁判決は、憲法25条1項は立法府にどのような法律を作るかについて裁量を委ねているので、国会が外国人を生活保護の対象に含めないとしても、憲法に違反しないと判断した。

 だが、仮に憲法25条1項が国会に広い裁量権を認めているとしても、苦しい困窮状態にあるにもかかわらず国籍のみを理由として救済を受けることができないというのは、法の下の平等を定める憲法14条1項に反しないのだろうか。

 この点について、同年8月6日の東京高裁判決は、「外国人に存する経済的、社会的その他種々の事実関係上の差異を理由としてその取扱いに区別を設けることは、その区別が合理性を有する限り、平等原則に反するものではない」と判断した。

 その上で東京高裁は、国会が外国人を生活保護の対象にするか否かは、「当該外国人の属する国との間の外交関係、変動する国際情勢、国内の政治・経済・社会情勢に照らしながら」政治的に判断ができるものだとし、そして、「限られた財源の下で給付を行うにあたり、自国民を在留外国人より優先的に扱うことも許されている」としたのである。お金の問題があるので、日本人を優先的に扱っても外国人に対して不平等とならないということである。