弁護団長の及川智志は、「人としての血が通っていない、冷酷な判決。怒りを禁じえない」「判決文は、わずか8ページ。中身を読んでも、納得できる根拠が合理的に説明されていない。人の命がかかっている問題であるのに、裁判官が悩んだ形跡がまったく見えてこない」とこの判決を強く非難し、直ちに上告及び上告受理申立てを行った。
「財源がない」は救済を
拒む理由になるのか
筆者はこの上告審から弁護団に参加した。裁判には多くの弁護士はもとより、大学教授やソーシャルワーカー、医療関係者など多くの人々が支援者として参加している。医療関係者からは、生活保護が認められないために十分な医療を受けることができないクワクのような外国人が国内に多くいること、善意の医師らの無償の対応では限界があることなど厳しい現状が詳しく説明された。2026年9月9日、最高裁は具体的な理由を示すことなく上告を退けた。
裁判所は、財源が限られているから、国民の優先的扱いは認められ、クワクが救済されないのも仕方がないことだと言った。
『日本の法に「自由」はあるか?フランス弁護士による現場からの問い』(金塚彩乃、講談社)
外国人の生活保護の問題に限らず、日本人の生存権に関する多くの裁判においても、裁判所は財政事情を大きな理由として、国の判断を是としている。たとえば1967年5月24日「朝日訴訟」最高裁判決では、「肌着2年に1着、パンツ1年に1着、ちり紙1月1束、タオル1年2本、鉛筆1年6本」という生活保護における日用品費についても、財政事情を理由として厚生大臣の広い裁量を認めた。
しかし、ここには論理構成上の大きな欺瞞がある。国にお金がないから救済できないのではなく、国には救済するつもりがないからそのためのお金がないのである。お金がないのは、自分たちで決めた範囲の人を、自分たちが決めた程度以上には救済をしないという国の意思の結果にすぎない。
「財政事情」という言葉は、裁判所において一貫した使われ方がなされていない。ある時には財政事情があるから憲法二五条は国会の裁量であると言ったり、また別の時には憲法一四条の平等の検討が国会の裁量であると言ったりしている。裁判所は、国の不作為の正当化の理由として「財政事情」を融通無碍に持ち出すのである。







