まずは、タミヤのプラモデルが大好きだということ。そして、買ったキットに成形不良のパーツがあったので交換してほしいということ。私は嘘をついていない証拠として、その不良パーツを爪切りでランナー(部品が付いている枝)ごと切り出し、同封しました。

 手紙をポストに投函してからは、毎日落ち着きませんでした。翌日から学校から帰るたびに自宅のポストを覗き込んでは「まだ返事が来ない」とがっかりしていました。ところが、しばらくしたある日、ついに封筒が届いたのです。

 中を開けると、成形不良に対する丁寧なお詫びの文章と、新しいパーツ、そしてタミヤのミニカタログやチラシが入っていました。子ども心にも、それが決して「子ども向け」の対応ではないということは分かりました。年賀状さえろくに書いたことのなかった小学生の初めての手紙に、タミヤが大人の対応をしてくれたのが何よりも嬉しかったのです。タミヤは小学4年生の私に対しても、「一人の社会人」として真剣に向き合ってくれたように感じました。

あの頃のタミヤの手紙を
書いていたのは社長だった?

 翌日、学校の教室でその話をすると、友達が一斉に集まってきました。

「えっ、タミヤから手紙が来たの?」

 タミヤのプラモデルは子どもの遊びの王道だったので、メーカーから手紙が来るというのは、それだけでちょっとした事件でした。友達の輪の中心になった私は、ものすごく誇らしい気持ちがしたのを、今でもよく覚えています。

「タミヤは、僕たちを子ども扱いしない会社なんだ」

「タミヤは、やっぱりかっこいい!」

 という尊敬の気持ちは、こうして私の中に大きく育っていったのでした。小学生の頃に出会ったタミヤのかっこよさは、商品の中身だけではなく、こういう顧客に対する姿勢にもあったのです。

 大人になってから、同世代の模型ファンと昔話をすると、

「自分も小学生の時にタミヤに手紙を出したら返事が来て、すっかりファンになった」

「部品請求用紙の金額を切手に換算して送ったら、ちゃんと部品が届いた」

 という話を、驚くほどよく耳にしました。そういう話を聞くと、初対面の人でも一気に古くからの親友みたいになります。図らずも、1997年に発刊されてベストセラーになった田宮俊作社長(当時)の自伝『田宮模型の仕事』(文春ネスコ)には、「品質というものは、製品そのものが良いだけではなく、アフターサービスなど総合的なことを含めたものだと思うのです」と書かれていました。

『私とプラモデルの半世紀』書影『私とプラモデルの半世紀』(松井康真、中央公論新社)

 その後、俊作社長と懇意になってから、ある時私が小学生時代に出した手紙の話をすると、「ああ、その時期なら、手紙は私が直接書いているかもしれませんね」

 とおっしゃられました。唖然とした顔をする私に、俊作社長は、

「だって、他に人がいなかったんですよ」

 と静かに答えられたのでした。小学校の時に感じた「タミヤはすごい」という感覚が、何十年も経ってから一本の線になってつながった瞬間です。きっと、私は無意識のうちに学んでいたのだと思います。好きなものに誠実に向き合うということ、そして相手を年齢や立場で判断しないということを。タミヤは、プラモデル以上のものを、私に教えてくれていたのでした。