総資産4億円の顧客に
課長の目の色が変わった
そんな中、私は三河地区の資産家案件を発掘した。優良法人リストに掲載されていた機械メーカーにアポイントを取って訪問すると、応接室に現れたのは総務部長の米倉氏で、彼は社長の息子だった。
「じつは会社のお金ではないんですが、父や家族の資産運用について相談したくて……」
法人営業のつもりで飛び込んだ先に、創業家・米倉一族の資産という別の扉が開いた。総資産は4億円。その情報をあげると、藤堂課長の目の色が変わった。
ただ、米倉氏からは、「全額を一気に投資するのではなく、何回かに分け、いくつかの商品に分散したい」という希望を聞き取っていた。藤堂課長の鼻息の荒さに危機感を覚えた私はその旨を説明した。
「わかった。ただ資金は全部入れてもらえ。運用しながら、少しずつ株や債券に回していけばええ」
藤堂課長は軽く言った。しかし、本社方針では、顧客の指示を無視することは認められていない。
「いえ、お客さまは3カ月ごとに市場の状況を見ながら、分割投資していくことを希望されています」
「それをなんとかするのが営業やろ?分散では弱いんや。一括でいかなあかん!」
課長の目は数字しか見ていなかった。そして、私もまたその熱気に呑み込まれていった。投信部に依頼してシミュレーションを作成した。日本株と外国株がきれいな右肩上がりを描く理想的なチャートが出た。
「これを持参しよう」藤堂課長は満足そうにうなずいた。
「100年に一度」の太鼓判は
わずか3カ月で裏目に出た
藤堂課長とともに米倉氏の自宅に赴いた。米倉氏はチャートを見てもなお慎重だった。
「う~ん、たしかにこのシミュレーションだと右肩上がりですが、実際にこんなに順調にいきますかね。仮に契約した翌月に相場が下がったら、どうなるんでしょうか」
「私らも自信がなかったら、こんな商品をお勧めしません。本社が総力を挙げて売り出している商品です。米倉さんの資産をまかせてもらう以上、中途半端な提案はしません。100年に一度の変動でも起きない限り大丈夫です」
課長は自信満々に答えた。米倉氏は心配そうに隣にいる私の顔を見た。私は営業担当として満面の笑みでうなずいた。
「そうですか。そこまで言うのなら一括で購入します」
契約は成立した。4億円近い資金が入り、支店中が沸いた。本社が毎日配信するグローバル・ラップの支店別販売実績では、契約金額がそのまま順位に反映される。米倉家の資金が計上されれば、名古屋支店は一気に上位へ躍り出る。キャンペーン期間中の全国販売額1位も夢ではない。誰もがそう思った。
『証券マンひりひり日記』(日野山 大、三五館シンシャ)
だが市場は、人間の願望など意に介さない。少しするとジョージ・ソロスによるタイバーツ売りを発端としたアジア通貨危機が発生した。米倉氏の資産はわずか3カ月のあいだに1割以上、下落した。
それまで一任すると言っていた米倉氏は激怒した。「100年に一度の変動でも起きない限り大丈夫」などと太鼓判を押しているのだ。当然といえば当然の反応だった。
私は平身低頭で謝罪に行ったが、結局、資金は全額解約出金となった。
その後もITバブル崩壊、リーマンショックと、「100年に一度の変動」は頻繁に繰り返されている。







