女性がグラスにお酒を注ぐ様子写真はイメージです Photo:PIXTA

理不尽な命令で部下を振り回し、顧客から月600万円もの売買手数料を稼ぎ出す。そんな強引な課長に、私は何度も反発した。それでも、嫌いにはなれなかった。3年間続いた交換日記、少年のように喜んだ栄転――。大手証券で25年間働いた元証券マンが、かつての上司との知られざる日々を振り返る。※本稿は、元証券マンの日野山 大『証券マンひりひり日記』(三五館シンシャ)の一部を抜粋・編集したものです。

※本稿は著者の実体験に基づいていますが、登場人物のプライバシー保護のため、人名は仮名とし、人物像の改変や一部脚色を加えています。

部下を飲みに呼び出す
「赤紙」の正体とは

 ある日、机の電話に、見慣れたピンク色の伝言メモが挟まっていた。本来、顧客からの電話連絡を書くための用紙である。そこに短く書かれている。

「本日夜 藤堂」

 私たちはこれを「赤紙」と呼んだ。机に貼られた者へ、藤堂課長からの召集令状である。これが貼ってあると、その日夜の予定はすべて消し飛び、深夜まで課長に拘束されることが確定する。同期たちは机を見ながらため息をつく。

「また来たわ。今月3回目や。カードの支払いが追いつかん」

 表向き笑っているが、目の奥が泣いている。接待の支払いは部下たちが行なう。

「会社に請求しとけ」藤堂課長はこともなげに言う。

 実際、当時の経費管理は驚くほどゆるかった。タクシーチケットは束で配られ、接待交際費も今では考えられないほど自由に使えた。「知多半島出張」「三河方面出張」などという名目で交通費を請求すれば、それ以上細かく確認されることはほとんどない。課員たちはクラブで使った金を交通費や営業経費として処理し、辻褄を合わせていた。それでも毎週のように続く接待で財布は空になる。上司接待のため、消費者金融のカードを何枚も持ち歩く者もいた。