第1の要素は、ジャスト・イン・タイムの生産方式だ。顧客が買ってくれるのをあてにして自動車を生産しても意味がない。無駄は悪だ。生産をマーケットの現実の要求に合わせなければならない。

 第2の要素は、製品の品質に関してはすべての従業員に責任を負わせることだ。したがって、どんな品質の問題でも、発見されればその場で修正しなければならない。

 第3の要素は、「価値の連鎖」だ。つまり互いに関係のない製品やプロセスの集合体として会社を理解するのではなく、一連の統一された実態、つまり会社を顧客や協力企業も含めた1つの流れとして捉えることだ。

 トヨタが初めて独自開発した乗用車クラウンは、いくらか足もとのおぼつかないスタートを切った。1955年元旦、正装した豊田英二が自らハンドルをにぎってラインオフさせたクラウンは、日本国内では成功をおさめた。ところが、1957年にアメリカ市場に導入してはみたものの、それほどの反響を巻き起こすことはできなかった。クラウンは日本の道路に合わせた設計だったために、スピードが遅く、そのうえよくオーバーヒートするという問題を起こしたからだ。アメリカのハイウェイには向いていなかった。

転機と決断

 やがて1960年代に入ると、アメリカ市場へのこだわりが実を結び始める。コロナとカローラの両方がヒットし、好調な販売を記録したのだ。1968年のカローラの成功によって、同社は大きく飛躍することになる。そして1975年、トヨタはフォルクスワーゲンを抜き、アメリカで輸入車販売ナンバーワンとなる。1984年にはゼネラルモーターズと合弁企業を設立、アメリカでトヨタ車の製造を開始した。こうしてトヨタは、品質にかけては抜群の評価を獲得することになった。しかし、アメリカで同社の高い評価を決定的にしたのは、トヨタレクサスの導入だろう。

 レクサスは豊田個人にとっても感慨深い勝利であった。1983年8月、社内で極秘会議を招集し、出席者にこう問いかけた「トヨタは文字通り最高といえるラグジュアリーカーを開発できるか」。全員がためらうことなくイエスと答えた。