隆盛を誇った
「反グローバル化運動」
「反グローバル化運動」をご存知だろうか。この運動を最も有名にしたのは、1999年に米国シアトルで開かれたWTO(世界貿易機関)の閣僚会議のときだった。当時のクリントン米国大統領は、この会議でWTOの新たな通商交渉の協議開始を宣言できればと考えていたようだ。
これに対して、グローバル化やWTOに反対する人たちが世界中から集まった。多くの人は静かにグローバル化反対を訴えたが、一部の人が暴徒化して、グローバル経済の象徴的な存在として見られていたスターバックスやギャップなどのグローバルブランドの店を破壊する行為に出た。
結局、このシアトルの会議では新たな通商交渉に踏み切ることはできなかった。その後、2001年に中東のドーハで行われたWTO閣僚会議で通商交渉の開始が宣言されることになる。これが現在も続いている「ドーハ・ラウンド」である。
私も個人的にこうした反グローバル化活動を目撃したことがある。2002年の初めにニューヨークで開かれたダボス会議の場であった。ダボス会議はスイスのダボスで開かれるのが普通だが、このときは前年の9.11テロで大変な目に遭ったニューヨークを励まそうということもあり、同地で年次総会を開くことを決めたのだ。
ダボス会議は、WTOやサミットなどとともに、グローバル化を推進する存在として、反グローバル化活動をする人たちからは攻撃目標とされていた。
会議の会場であるウォルドルフ・アストリアホテルの周辺には、何万人という反グローバル化活動家が集結していた。そして会場を警備すべく、ニューヨークの警察官が多数動員され、ホテルの周りを囲んでいたのである。
最近は、反グローバル化の活動のニュースを聞くことが少なくなったので、当時ほど動きは活発ではないのかもしれない。ただ、当時はそうした雰囲気が世界中に蔓延していた。不思議なことに、日本ではそれが顕著なかたちで現れることはなかったのだが。