求めすぎると
ジャーナリストがいなくなる

開沼 震災から2年間「名を挙げるチャンスだよ」と言ってきた。誰もつっこまないところに分け入っていけばいくらでも有名になれる。議論を喚起しながら、自分の見ている現実を伝える。ジャーナリスト、研究者冥利につきるよ、と言ってきたが、皆それをしない。なぜかと思ってきたが、結局面倒くさいのだろうなあ、という単純な話という事に気付いてきました。個人の責任の中で自分が傷つくことも恐れず、社会的な事象に向き合うのはきつい。結果、群れたり、信者を作ったりする中で内向的な議論が無限ループすることになります。

藤代 マッチョな記者や研究者ばかりになってしまわないように、仕組みづくりは重要です。その一方で、ジャーナリストや研究者は面倒くさいことに取り組んでいるという社会的な理解も必要になります。「ジャーナリストなのだから向き合え」といわれても、面倒なことは避けたいのは人も組織も同じ。盛り上げて落とす報道のS字カーブや、言説の再生産、そして面倒だからやめとこうかという自主規制は、読者や取材される側にも原因があります。

開沼 時間が経過して被災者の固定化した概念が、言論を圧迫していかないかというのは懸念をしています。一方で当事者の代弁者が議論をかく乱している面もある。当事者ぶった正義感を相対化するのはエネルギーがいることなんですが、誰かが担わなくてはいけないのですが……。

藤代 ジャーナリストや研究者に求めすぎていると、誰も難しい問題を触らなくなりますからね。そして誰もいなくなったということになりかねない。

開沼 代替策としては、集団で向かう場をつくれば途中で心折れずにやっていけるのかなと思うんです。企業ジャーナリズムではない場所で、中間的な場所をつくっていくのが重要ではないでしょうか。

藤代 ジャーナリストキャンプは中間的な場所をつくる小さな取り組みです。朝日新聞と毎日新聞とグリーニュースの人が同じチームで取材したり、研究者がデスクだったり、もあり得なかったことです。志ある仲間が組織や分野を超えてつながることで、新しいジャーナリズムの姿を切り開いて行けると思います。