リアリティがあるのは全体の3分の1?
米国人から見た『半沢直樹』的な労働観
先日最終回を迎えたドラマと原作小説の人気がうなぎ上りで、『半沢直樹』が大変なことになっている。私自身、以前銀行に勤めていたことがあるため、どこに行っても半沢直樹について尋ねられたり、銀行の仕事が話題になったりする。ここまで来ると、一種の社会現象を巻き起こしていると言えるだろう。
ドラマを観ていると、横暴な常務の不正行為はコンプライアンス(法令遵守)の観点からほとんどリアリティがなく、「いかにもフィクションだ!」と感じる一方、人事権を振り回す陰険な上司など、「確かにこんなこともあるだろう」と思ってしまう部分があった。感覚的には、3分の2がフィクションで、残り3分の1が実態に近い部分と言えそうだ。
ドラマの進展はテンポがよく、登場する演技者の熱演ぶりには驚かされた。銀行員だった友人に言わせると、「出演者の熱演ぶりは一生忘れられないほどのインパクトがあった」と言っていた。出演者の熱演によって、彼の銀行員時代の記憶が蘇って来たのかもしれない。
このドラマについて、米国人の知り合いに尋ねてみた。彼は、なかなか面白い反応を示した。彼によれば、「不当に扱われているのであれば、さっさと他に移るべきだ」という。
半沢直樹は間違いなく行動力があり、物事を推進する実力を持っている。銀行がそれを評価しないのであれば、正当に評価してもらえる企業を探せばよいということだ。
逆に言えば、半沢直樹は父親の仇討を念頭に置いているものの、自分自身の人生を考えれば、組織の中でその実力を適正に評価される方がよいはずだ。何も、理不尽な評価を受ける現在の職場に固執する必要はないというわけだ。
それではドラマとしては面白くないかもしれないが、米国人の発想として彼の考え方には、それなりの説得力がある。