和田裕美さんの手帳に込めた思いと、愛用者の方たちの様々な活用法を紹介した本連載も最終回。今回は、9月27日に東京白金台の八芳園で開催されたダイヤモンド著者セミナー、「和田裕美の 私を世界No.2にしてくれた手帳術」から一部を抜粋してご紹介する。

響いた言葉を、書いて話すと自分のものになる

 みなさん、こんばんは。今日は手帳術のお話をさせていただきます。「私を世界No.2にしてくれた手帳術」となっていますが、もちろん手帳術だけで世界No.2になったわけではなく、ほかにもたくさん努力をした結果としてNo.2になったわけです。けれど、この手帳が支えになってくれたのは事実です。

 今日は私が現役の営業ウーマンだった時代のナマの手帳をもってきました。1994年版の「ブリタニカ手帳」です。アメリカの紙のサイズで作られているそうで、『和田裕美の営業手帳』を初めてつくるときは持ちやすいサイズを目指し、日本の紙のサイズに合わせて少し小さくしました。

 さて、手帳って予定を書くものだと認識されていますが、それ以外にとにかくメモをたくさん書くことが大事だと私は思っているんです。本で読んだり、ラジオや講演会などで聞いたりして自分に響いた言葉を、ひたすらメモします。そして自分の中にインプットしていくのです。

 実は、私にとってはこの「メモ」が、まさに営業で何千人という人に会って、それぞれの人に合ったトークをするためのネタ帳になったのです。

 同じ話でも表現は変わります。それぞれの人の心に響くように、そのときのインスピレーションでネタ帳を開いて言葉を探していたのでした。営業の現場には10年間いましたから、10冊のネタ帳ができたということです。この手帳たちが、私の10年間の財産なのです。

 1994年は私がまだ営業の新人だった年です。その頃の手帳の1ページ目に何が書いてあるか。自分に響いた言葉を20代の私が書いてるわけなんですけど……。紹介しますね。